とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

対等貿易

こんにちは。冨樫純です。


「遣隋使」についてのコラムを紹介します。

 

日本でも強きの外交をしていたことがあることに驚きました。


5、6世紀の中国は、南北朝時代でしたが、589年に隋が中国を統一します。

 

隋という国は北朝からできた国で、日本との交流はありませんでしたが、ヤマト政権は、遣隋使を派遣します。

 

最初の遣隋使は600年に派遣されたということが、中国の歴史書「隋書」倭国伝に記されています。


この600年の遺隋使の目的は、日本が新羅を攻

めるのに際して、隋を味方につけようとしたためだといわれています。


日本は加耶(加羅)地域を再び手に入れるために、 新羅を攻めようとしていました。


その時に隋を味方につけたかったのですが、隋は新羅を敵に回したくなかったので、拒否されたといわれています。


次の遣隋使は607年のことで、小野妹子が派遣されました。


小野妹子は隋の皇帝であった煬帝に会い、対等外交を要求しました。この要求に対して、 煬帝は怒ります。


しかし、当時、隋は国境を接していた高句麗と対立していました。隋としては、高句麗と対抗するためには、ヤマト政権を味方につけておきたかったのです。


ですから隋は、対等外交こそ認めませんでしたが、留学生の受け入れを認めました。


そこで、608年に高向玄理南淵請安らの留学生・学問僧を派満します。


彼らは隋・唐のすぐれた制度や技術を学び、大化の改新とその後の律令国家の形成に大きな役割を果たしました。

 

下記の本を参考にしました


『金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本』【改訂版】

  金谷 俊一郎

  東進ブックス 大学受験 名人の授業