こんにちは。冨樫純です。
「大陸文化の伝来」についてのコラムを紹介します。
日本にとって中国は、影響力が大きい国だと改めて感じました。
4世紀から5世紀にかけて、中国や朝鮮半島が動乱の時代を迎えていました。
この動乱の時代を背景に、多くの中国や朝鮮の人たちが日本にやってきて、日本にさまざまな文物を伝えてきたのです。
須恵器と呼ばれる土器もそうですし、漢字や機織りの技術、そして6世紀になると、儒教や仏教も伝わってきます。
これらの文化は、主に百済から伝えられました。
どうして百済から伝えられたのか?
それは、日本と百済が友好関係にあったからです。
日本と百済は友好関係、日本と新羅は敵対関係、そして日本から一番遠い高句魔は日本とあまり接点がなかった。
また、当時は農耕社会だったので、豊作を祈るさまざまな儀式や、その他の祭祀が多くおこなわれました。
春には豊作を祈る祈年の祭、秋には収穫に感謝する新督の祭がおこなわれました。
下記の本を参考にしました
『金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本』【改訂版】
金谷 俊一郎
東進ブックス 大学受験 名人の授業