こんにちは。冨樫純です。
「律令体制 」についてのコラムを紹介します。
歴史用語の丸暗記が、いかに意味がないかの一例だと思いました。
「律令体制」って言葉を知らない人はいないと思うんです。
もう、私も何回も言っていますしね(笑)。
でも、「それじゃ、律令体制って何なの?」って聞くと答えられない人が多い。
上目づかいで私に助けを求めたりするんですよね。「金谷先生、もうこれ以上いじめないでよ …」 みたいな感じで…。
別にこれは、だれが悪いわけじゃないんです。
今まで歴史を丸暗記していたやり方がいけないわけです。
律令体制というのは、唐の律令法に基づく中央集権的な国家体制を日本に移植したものです。
これじゃわかりにくいですね。 説明します。
唐という国は、律令という法典を整備します。
きちんとした法典を作ることによって、人々の支配をより強固なものにしていきました。
このきちんとした法典を使って、皇帝(日本の場合は天皇) を中心にした政治をおこなうわけです。
天皇が命令を出すとそれが全国に伝わって、その命令が守られるといった政治体制、それが律令体制です。
ですから、律令体制の整備のため、まず最初におこなわれたことが、近江令、そして大宝律令といった法典の整備と、人々を支配するための戸籍を作成することだったのです。
下記の本を参考にしました
『金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本』【改訂版】
金谷 俊一郎
東進ブックス 大学受験 名人の授業