こんにちは。冨樫純です。
「慣行利水権」についてのコラムを紹介します。
日本の稲作が慣行利水権で成り立っていることを知り、利水に対する見方が少し変わりました。
すべての生き物にとって水は必要である。
人間も生きるため、そして、生産を行うために水を欠かすことはできない。
年間約 1800 ミリの雨が降る日本において、飲料水利用のためだけであるならば、水の稀少性はそれほど大きいものとはいえず、水あるいは水の場に対する所有権や使用権の問題は起きにくい。
しかし、日本人は弥生時代には水稲耕作を始めており、米が重要な穀物となった。
水稲耕作には大量の水を確保することが必要である。
飲み水の獲得ではあまり問題にならなかった水の稀少性がここで初めて問題になる。
米という優れた穀物を獲得するには、適量の水を獲得し、水田に引いてこなければならない。
水の場を私的に囲い込み占有する、すなわち私的に所有することは難しい。
そこで、村落共同体によって水の場を所有、管理するようになった。
このための共同管理組織が、水組、井組と呼ばれる組織である。
日本では、河川、湖沼などの水の使用権は、水利権として古くから確立している。
この権利は多くの場合、慣行によって決められたものであり、近世、あるいはそれより古くから受け継がれてきたものである。
そこで、この水利権のことを慣行水利権と呼ぶのである。現在の水の利用にもかかわらず現代においてさえ、水の使用権は概ね慣行水利権によって配分されているのである。
したがって、現代の水の配分には大きな経済的損失が発生しているのではないだろうか。
下記の本を参考にしました。