こんにちは。冨樫純です。
「変化は見せかけの現象!?」に関するコラムを紹介します。
確かに、感覚(視覚など)に頼ると、本質的なものが見えないことがあるかも知れないと思いました。
変化は見せかけの現象にすぎないと説いた哲学者がいる。
エレア出身の哲学者·パルメニデスだ。
彼の基本は「あるものはある、ないものはない」で、 彼にとって真の存在とは、連続·一体·不生不滅で、変化も運動もしない唯一·絶対の「あるもの」だ。
これこそが万物の根源にあるもので、感覚でとらえられる運動や変化は見せかけの現象にすぎないということになるらしい。
感覚(視覚など)に頼ると、見せかけの変化·運動·姿などにだまされ、根源的な「あるもの」が見えてこない。
だからバルメニデスは感覚より理性に信を置き、
理性的な論証で運動·変化の背後にあるゆるぎない「あるもの」を探ろうとしたんだ。
そして、その彼の考えを引き継いだのが弟子·工レアのゼノンだ(ストア派のゼノンとは別)。
ゼノンは有名な「アキレスと亀のパラドックス」で、運動が見せかけの現象であることを論証しようとしたんだ。
「足の速いアキレスさんよ、あんたは東京から、亀である俺は名古屋から、それぞれ西をめざすとしよう。あんたがいかに足が速くても、決して俺に追いつけないぜ。なぜなら、あんたが名古屋に着く頃には俺は名古屋にはいず、京都に着く頃には京都にはいず、大阪に着く頃には大阪にはいないからだ」
実際にかけっこすると、当然亀は負ける。
でも、この理屈だと永遠に追いつけないよ。
これは亀が、自分が「今いる場所」をめざしてアキレスを走らせているけど、亀の方も常に同時にその場から出発するから、永遠に追いつかないだけた。
つまり、「俺は大阪だぜ。大阪まで来いよ」と言いながら、亀はアキレスの出発と同時に大阪を後にしてるってことだね。 亀ズルい。
下記の本を参考にしました。
『蔭山のセンター倫理』
「思想」の背景と流れがわかる
蔭山克秀著