こんにちは。冨樫純です。
社会科学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
歴史と経験から学んだ集大成 『君主論』
しかし、E・H・カーの『危機の20年』が明らかにしたように、リベラルな国際社会というユートピアの実現を目指そうとした政治家たちの善意の企ては、世界大戦という破滅を招いたという歴史があります。
また、現代においても、冷戦終結後のアメリカのリベラリズムに基づく大戦略もまた失敗に終わったことを、私たちは経験しています。
マキアヴェッリもまた、歴史と経験から学んでいました。
『君主論』の前書きには、こうあります。
「ちかごろ起こったことについての長年にわたる経験と古のことについての不断の読書とを通じて学びました偉人の行ないに関する知識のほかは、特別にたいせつにし、また尊重しているものは何もございません」。
歴史から学ぶことを重視するマキアヴェッリは、『ディスコルシー「ローマ史」論』という、古代ローマに関する歴史書も著しています。
大変興味深いことに、マキアヴェッリは、歴史から学ぶということについて、「人間は、しばしば理由もなしに過ぎ去った昔を称え、現在を悪しざまに言う」傾向があり、「人々のこんな考え方は、たいていの場合間違っていることが多い」と指摘しています。
しかも、「私が古代ローマの肩を持ちすぎて、今日の世界をやっつけるようなことを以下の論議で展開しようものならば、この私自身もまた、思い違いをしている仲間の中に数えられてしまうかもしれない」と、自分自身に対しても注意を促しています。
確かに、今日でも、人は「昔は、よかった」と過去を美化し、現在については批判的になる傾向にあるように思われます。
どうして、そうなりがちなのか。 マキアヴェッリは、2つの理由を挙げています。
一つは、歴史というものは、勝者によって書き残され、しかも勝者に都合よく改ざんされるので、輝かしい事績だけが記録されるからです。
そしてもう一つは、現在の事件に関しては、私たちは目撃者であり当事者であるので、事件の悪い側面まで詳しく知ることになるが、過去の事件については、そうではないので、現在の方が過去よりも悪く見えてしまうからです。
2つとも、まったくその通りであるように思います。
マキアヴェッリという人は、実によく物が分かっていたのだなあ、と感嘆を禁じ得ません。
感想
「人間は、しばしば理由もなしに過ぎ去った昔を称え、現在を悪しざまに言う」傾向があり、「人々のこんな考え方は、たいていの場合間違っていることが多い」と指摘しています。
マキアヴェッリのこの指摘はそうかもしれないと思いました。
下記の本を参考にしました
『奇跡の社会科学』
現代の問題を解決しうる名著の知恵
中野 剛志著