こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
知識が少ないときの楽しみ
「知識が少なくても楽しめることがある」と述べたが、むしろ、「知識が少なくても楽しめるものが必ずなくてはならない」とまで言っても良さそうだ。
というのも、もし知識が少ない段階では何の楽しみもないなら、知識を増やそうという欲求など出てきそうにないからである。
最初から何も楽しくないものを掘り下げようとは思わない。
知識が少なくても楽しめるものがあるからこそ、その楽しみを増やしてくれる知識を増やしたいと思うのではないだろうか(この点は芸術やスポーツにも当てはまる)。
では、知識が少ないときの楽しみとは何か。
まず思いつくのは、知覚を通して得られる情報である。甘いとか歯ごたえがあるとか温かいといったもの、感覚器官が刺激されれるようなものである。
要するに、純粋主義が認めていた情報だ。
しかし、これだけなのだろうか。他に楽しまれているものはないのだろうか。
この問題に対し、以下では次のように主張したい。私たちが何かを食べるとき、楽しまれているものが少なくとも二つある。
一つは自分が食べている「対象がもつ価値」であり、もう一つが食べるという「経験がもつ価値」である。
そして、知識が少ないときに楽しまれているのは主に後者である。
感想
「経験がもつ価値」で楽しんでいるという見方は確かにあると思いました。
下記の本を參考にしました
『美味しい』とは何か
食からひもとく美学入門
源河 亨