こんにちは。冨樫純です。
「信頼と社会」についてのコラムを紹介します。
改めて社会は、安心と信頼で成り立っていると感じました。
社会を動かしているのは人である。
そういわれても、私たちの日常の実感からはほど遠い印象がある。
だが、私たちの日々の行動や判断の積み重なり、
つまりマクロな行為の積み重なりこそが、私たちの住むコミュニティや社会のあり方というマクロな結果につながっている。
この主張は否定しにくい。
それは実感というより、そう推測せざるをえないという性質のものだろう。
もう少し推測を働かせよう。
マクロな「人の営み」には日々の私的な生活も、企業や学校という公的な組織での活動も含まれるが、さらにマクロな結果に結びつく社会的な行動がある。
たとえば、地域コミュニティでの自発的な活動もそうなら、社会を動かすことにもっと直結した投票のような行動もその1つである。
そうした活動を指して「社会参加」や「政治参加」とよぶ。
ネットワークと並んで、信頼は社会を支え、動かす。
他者や制度が信頼できなくなったら、病気のときに医者にかかるのも、通勤通学の電車の中で居眠りするのも恐怖経験になりかねない。
社会的ネットワークや組織・団体、コミュニティといった社会の中のさまざまな集合体において、そのそれぞれのネットワーク構造のあり方や人々の間の信頼と互酬性のあり方が、私たちを社会的に関与させ(社会参加)、また個人の利害を越えるような社会的アウトプットをめざした政治参加を生み出す。
そして社会参加それ自体も政治参加を促進すると同時に社会的アウトプットを生み出す。
ここでいう社会的アウトプットとは、投票(政治参加)という政治選択によって政権を選ぶ、そのことによって法の制定や予算の決定・執行、行政サービスの実施にまで影響を与える、といった制度的なアウトプットばかりではなく、私たちの社会に対する満足、他者への寛容性といった心理的なアウトプットも含まれる。
このようなメカニズムは社会関係資本研究でよく検討されてきたが、その働きをガイドしたり補完するのが安心の仕組みである。
たとえば、法律や社会的な評判は「監視」的な役割によって社会的な逸脱行動を抑制する。
また、言論や集会結社の自由を制度的に保障することが反対意見の表明を含む政治参加を促進し、それが他者への寛容性を生み出すことにもつながる。
こうして、監視や制度が、社会を好回転させ、望まれる社会的アウトプットを生み出す安心の仕組みとして、社会関係資本と相互補完的に働く。
このことは信頼が働く仕組みと密接に関連している。
下記の本を参考にしました
『社会心理学』
池田 謙一 他2名