こんにちは。冨樫純です。
「弥生時代の墓制 」についてのコラムを紹介します。
権力者が立派なお墓を建てるのは、世界共通の欲望なのかと思いました。
支配者は、自分の権力を自分の死後も後世に伝えたいと考えるようになります。
名誉欲みたいなものでしょうか。
そのため、支配者は自分の墓を誇示するようになります。
初めは、甕棺墓(かめかんぼ)という、人がすっぽり入るような土器を作り、そこに自分の亡きがらを埋葬していました。
そして、そこに副葬品と呼ばれる金銀財宝をぎっしりつめこんで、自分の権力の象徴に囲まれながら死後を過ごすわけです。
しかし、甕棺墓にどっさり副葬品をつめこんでも、土の中に埋めてしまえば、自分の存在は見えなくなってしまいます。
そこで、支石墓(しせきぼ)の登場です。
自分の亡きがらが埋まっている場所に石を置くことによって、「ここに私が埋まっているのだ!」というのを誇示するわけです。
さらに、方形周溝墓( ほうけいしゅうこうぼ)といった墓の周囲に溝を掘る墓や、墳丘墓(ふんきゅうぼ)といった盛り土をした墓も作られていきます。
下記の本を参考にしました
『金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本』【改訂版】
金谷 俊一郎
東進ブックス 大学受験 名人の授業