こんにちは。冨樫純です。
「ミケランジェロと女性」についてのコラムを紹介します。
ミケランジェロに限らず、同性愛者などが芸術的な才能を発揮するのはイメージしやすいと思います。
また、母親不在と同性愛の因果関係があると書かれていますが、いまいち納得できません。
ミケランジェロの絵画·彫刻の作品では、性愛的傾向を助長させたと推測できるので、全体として青年男性の肉体美を賛美する傾向が強い。
システィナ礼拝堂の天井画における5組20体の「青年裸像」、正面の祭壇の壁画「最後の審判」における全裸のキリスト像(のちに布が描かれたが)、フィレンツェの全裸青年の「ダヴィデ」像など、代表作をみるだけで、その特徴を理解できる。
ミケランジェロの伝記を残したロマン·ロランも、彼の筋肉質で美しい男たちに対する友情の域をこえた愛情について詳しく述べている。
なぜだろうか。この背景には、 母親不在があったと考えられる。
生まれてまもなく石工の家に里子にだされ、6歳のときに実の母親を亡くし、しかも父親からも実母のことを聞かされなかったことで、母親についての記憶はミケランジェロからまったく消えてしまった。
事実、ミケランジェロの500をこえる手紙のなかにも、実母に関する記述は皆無である。
この幼児のときのトラウマが神経症的な反動をひきおこしたのかも知れない。
だからといって、ミケランジェロは女性にまったく無縁だったわけでもない。
とくに61歳のときに出会ったコロンナとの純愛は、急激でかつ静かで礼儀正しく、しかも深くて強いものであった。
彼女と出会って気性が激しく、怒りっぽいミケランジェロが、奇跡のように人がかわった。
彼女は自作の詩をミケランジェロに送って彼の苦
問をやわらげ、心の平静をたもつ努力を怠らなかった。
コロンナはミケランジェロよりも先に死んだが、晩年のミケランジェロは、死ぬ直前までノミを入れていたと伝えられる「ロンダーニのピエタ」のようなマリアとイエスの聖母子像の作品で、青年期の「ピエタ」とは異なる寂しさと苦悩を表現した。
それはあたかも20世紀のドイツ表現主義の先駆をなすような作品であったが、これにはコロンナの存在と精神的交流が影響していたのかもしれない。