こんにちは。冨樫純です。
哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
スヴェンセンの結論の問題点
ラッセルの解決策が、広い関心をもつように心がけ、自分の熱意のもてる対象を見つけるべし、という積極的な解決策であったとすれば、スヴェンセンのそれは、退屈の原因となるロマン主義的な気持ちを捨て去るべし、という消極的な解決策である。
そして、消極的な解決策は、解決策でないことがしばしばだ。
これでは、退屈してしまうことが問題であるのに、退屈している君が悪いと言い返しているようなものである。
それが言い過ぎだとしても、このような解決策にはだれもが途方に暮れる他ないだろう。
どうやってロマン主義を捨て去ればいいのか?
自分の心のどこに、どのような形でロマン主義があるのかも分からないのに?
そもそも、ロマン主義的な心性をもった人間がそれを捨て去ることはできるのか?
スヴェンセンの言うように、それは単に「諦める」ということではないのか?
つまり、「お前はいま自分のいる場所で満足しろ」「高望みするな」というメッセージにすぎないのではないか?
してみると、数えきれぬほど多くの固有名を掲げる博学スヴェンセンの書きぶりは、この結論的メッセージの単純さを覆い隠すための装飾であったのではないかとすら思えてしまう。
それに、退屈とロマン主義というテーマ自体は大変興味深いものだが、スヴェンセンは退屈の問題をそこに集約させすぎている感がある。
ロマン主義的退屈はやはり退屈の一つにすぎない。
現代人のなかにそれに悩んでいる人もいるだろうが、それだけではない。
パスカルの扱った退屈がロマン主義で説明し切れるかと言えば、そうではあるまい。
スヴェンセンの著書に、参考にすべき点は多いが、退屈をロマン主義に還元する姿勢はとても支持し得ないし、彼の解決策にはまったく納得できない。
感想
「お前はいま自分のいる場所で満足しろ」「高望みするな」というメッセージにすぎないのではないか、という箇所がおもしろいと思いました。
こう考えれば、退屈もしないと思いました。
下記の本を参考にしました
『暇と退屈の倫理学』
國分 功一郎