こんにちは。冨樫純です。
哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
みんなと同じはいや!
18世紀の啓蒙主義の時代では、人間は理性的存在として平等であり、平等に扱われねばならないと盛んに論じられた。
ロマン主義はそれに対する反動である。
そこではむしろ人間の不平等が高く掲げられる。
個人はそれぞれ違うのであって、理性とかいった言葉で一様に扱ってはならない。
つまりロマン主義は、普遍性よりも個性、均質性よりも異質性を重んじる。
他人と違っていること。他人と同じでないこと。
ロマン主義的人間はそれをもとめる。
いま風に言えばこうなるだろうか――「みんなと同じはいや!」「私は他人と同じでありたくない!」「私らしくありたい!」。
ロマン主義が現れる以前の世界では、経済的な不平等、身分にもとづく不平等が社会の全体を覆っていた。
したがってそこでは平等の実現こそが至上命題であった。
だが、多かれ少なかれ平等が達成されると、こんどは再び不平等がもとめられたわけだ。
「他人と違っていたい」とは、だれもがいつでも抱いている気持ちのように思われるかもしれないが、それは大変疑わしい。
スヴェンセンによれば、この気持ちはロマン主義という起源をもつ。
そして、「僕たち現代人はロマン主義者のように考えている」。
さて、こうなるとスヴェンセンが処方する、退屈への解決策もおおむね見当がつく。
私たちはロマン主義という病に冒されて、ありもしない生の意味や生の充実を必死に探しもとめており、そのために深い退屈に襲われている。
だからロマン主義を捨て去ること。彼によれば、それが退屈から逃れる唯一の方法である。
「退屈と闘うただ一つ確かな方法は、おそらくロマン主義と決定的に決別し、実存のなかで個人の意味を見つけるのを諦めることだろう」。
感想
個性を重要視する傾向は現代でもあると思います。
それはここから来ているのだと知りました。
下記の本を参考にしました
『暇と退屈の倫理学』
國分 功一郎