こんにちは。冨樫純です。
哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
「幸福論」は1930年に出版されている。
つまりラッセルはこの時期に、日常的な不幸が一つの大きな問題となって社会を揺るがしていることに危機感を抱いたということだ。
私たちはこの本の最後でマルティン・ハイデッガー という哲学者の退屈論に取り組むことになる。
これは退屈論の最高峰と言うべきものなのだが、実はハイデッガーがその退屈論を講義していたのが、1929年から1930年にかけてである。
まったく同じ年のことなのだ。そして、読めば分かることだが、ハイデッガーが扱っているのも、ラッセルと同じく、食と住を確保できるだけの収入と、日常の身体活動ができるほどの健康をもち合わせている人たちの不幸なのである。
実はこの符合は、ハイデッガーとラッセルのことを知っている者にとっては少々驚きの事実である。
なぜなら、二人は政治的にも哲学的にも犬猿の仲であり、まさしく、水と油の関係にあるからだ。
ハイデッガーは20世紀の大陸系哲学を代表する哲学者であり、ラッセルは20世紀の英米系分析哲学を代表する哲学者である。
これら二つの傾向はいまに至るまで対立し続けており、両者ともに相手を哲学として認めようとしていない。
ラッセルがその著書 『西洋哲学史』のなかでハイデッガーをまったく取り上げなかったのは有名な
話である。
また、ハイデッガーはナチズムに荷担したことでもその名を知られているが、ラッセルは反ファシズム運動の活動家でもあった。
ハイデッガーの退屈論には、その後の彼の行動を予感させる議論がつまっているのだが、ラッセルはおそらくその議論を認めはしなかっただろう。
だが、こうした強烈な対立にもかかわらず、20世紀初頭を体験したこれら二つの偉大なる知性は、同じ時期にまったく同じ危機感を抱いたのである。
取り立てて不自由のない生活のなかに巣くう不幸。
物言わぬ霧のようにただよってくる退屈。
それに危機感を抱いた二人の哲学者は、イギリスとドイツで同時にこれへの対応を試みたわけだ。
感想
二人の哲学者が同じことを考えることもあることに驚きました。
下記の本を参考にしました
『暇と退屈の倫理学』
國分 功一郎