こんにちは。冨樫純です。
哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
ファシズムと退屈
レオ・シュトラウスの分析
苦しみが欲しいという欲望をニーチェは、当時の、退屈する幾百万の若いヨーロッパ人たちのなかに見出した。
そしてニーチェに先見の明があったことは、残念ながら後に明らかになる。さらに時代を下ろう。
20世紀の大事件の一つはファシズムの台頭である。
ファシズムについては、政治、経済、歴史、思想、心理・・・・・・さまざまな分野で厖大な研究が積み重ねられている。
私たちはここで〈暇と退屈の倫理学〉の観点からこれに迫ろう。
実はニーチェが分析した「幾百万の若いヨーロッパ人たち」の心持ちは、ファシズムの心性に極めて近いものである。
参考にしたいのは、レオ・シュトラウス という哲学者の分析である。
彼は後にアメリカに亡命することになるのだが、亡命以前、ドイツにまだとどまっていた間、ファシズムがドイツで台頭していく様をその目で見ていた。
シュトラウスはその経験を詳細に語っている。
シュトラウスによれば、第一次大戦後のドイツの思想状況は次のようなもの当時、大戦後のヨーロッパでは、近代文明の諸々の理念が窮地に立たされていた。
それまでヨーロッパが先頭に立って引っ張ってきた近代文明は、理性とかヒューマニズムとか民主主義とか平和とか、さまざまな輝かしい理念を掲げていた。
ところが、そうした理念を掲げて進歩してきたはずの近代文明は、おそろしい殺戮を経験した。
第一次世界大戦のことである。もしかしたら近代文明は根本的に誤っていたのではないか?
そんな疑問が広がった。
その疑問を抱いたのは若い世代である。
父や母、学校の先生たちが言っていたこと、さらには本や新聞に書かれていたこと、そうしたことは何か間違っていたのではないだろうか?
上の世代は熱心に「理性が大切だ」「ヒューマニズムが必要だ」「民主主義を守らねばならない」「平和を維持しなければならない」と僕らに語りかけていた。
僕らにそうした理念を押しつけてきた。それらを信じ、守ることを強制してきた。
だけれども、そんなものは何の役にも立たなかったではないか?
ならば、近代文明には何か根本的な問題があるのではないか?
彼らは親の世代にこうした疑問をぶつけたのだった。
しかし、上の世代は何も答えることはできなかった。それはそうだろう。
彼らは単にそれらの理念を信じていただけだったのだから。彼らは見事なまでに保守的な態度に出た。
「大切なものは大切なんだ」と繰り返すだけだった。知識人たちも同じだ。
彼らもまた近代文明が作り上げてきた理念をただ信じていただけだったのだ。
若者は落胆した。そして、上の世代に強い反感を抱いた。「お前たちは俺たちが作り上げてきた理念を守っていればいいのだ」と偉そうな態度に出ていたくせに…………。
まるで「お前らにはもうやることはないから、ただ俺たちが作ってきたものを守れ」とでも言わんばかりの態度に出ていたくせに・・・・・・。
そうした理念が危うくなってもすこしもものを考えようとしない。
若者は上の世代を憎んだ。 そして、彼らが信奉していた近代文明を憎んだ。
感想
上の世代の価値観の押し付けは、たしかにあると思いました。
下記の本を參考にしました
『暇と退屈の倫理学』
國分 功一郎