こんにちは。冨樫純です。
哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
ニーチェと退屈
パスカルより時代は下って19世紀。 フリードリッヒ・ニーチェは『悦ばしき知識』のなかでこんなことを言っている。
いま、幾百万の若いヨーロッパ人は退屈で死にそうになっている。
彼らを見ていると自分はこう考えざるを得ない。
彼らは「何としてでも何かに苦しみたいという 欲
望」をもっている、と。なぜなら彼らはそうした苦しみのなかから、自分が行動を起こすためのもっともらしい理由を引き出したいからだ......。
ニーチェはさまざまな哲学者を縦横無尽に引き合いに出すけれども、パスカルはなかでもお気に入りだったらしい。
彼の著作のなかで121回もパスカルが引用されて
いるという。
ここはパスカルに言及した箇所ではないが、退屈についてのその透徹した認識は、あの17世紀の思想家と通底している。
苦しみが欲しい......。 苦しみから自分の行為の理由を引き出したい......。
退屈した人間は、そのような欲望を抱く。
苦しむことはもちろん苦しい。
しかし、自分を行為に駆り立ててくれる動機がないこと、それはもっと苦しいのだ。
何をしてよいのか分からないというこの退屈の苦しみ。
それから逃れるためであれば、外から与えられる負荷や苦しみなどものの数ではない。
自分が行動へと移るための理由を与えてもらうためならば、人は喜んで苦しむ。
実際、20世紀の戦争においては、祖国を守るとか、新しい秩序を作るとかいった使命を与えられた人間たちが、喜んで苦しい仕事を引き受け、命さえ投げ出したこと私たちはよく知っている。
「悦ばしき知識」は数あるニーチェの著作のなかでも有名なものの一つだ。
というのも、そのなかで、かの有名な「神は死んだ」という宣言がなされたからである。
神の死を宣告する書物のなかで、ニーチェが退屈についての考察を記したという事実には、何か偶然以上のものを感じざるを得ない。
ここに描かれているのはまさしくパスカルの言う「神なき人間のみじめさ」である。
感想
苦しむことはもちろん苦しい。
しかし、自分を行為に駆り立ててくれる動機がないこと、それはもっと苦しいのだという。
極端なようですが、そうかもしれないと思いました。
下記の本を參考にしました
『暇と退屈の倫理学』
國分 功一郎