こんにちは。冨樫純です。
哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
欲望の対象と欲望の原因
パスカルが述べていることをより一般的な言い方で定式化してみよう。
それを、〈欲望の対象〉と〈欲望の原因〉の区別として説明することができるだろう。
〈欲望の対象〉とは、何かをしたい、何かが欲しいと思っているその気持ちが向かう先のこと、〈欲望の原因〉とは、何かをしたい、何かが欲しいというその欲望を人のなかに引き起こすもののことである。
ウサギ狩りにあてはめてみれば次のようになる。 ウサギ狩りにおいて、〈欲望の対象〉はウサギである。たしかにウサギ狩りをしたいという人の気持ちはウサギに向かかている。
しかし、実際にはその人はウサギが欲しいから狩りをするのではない。対象はウサギでなくてもいいのだ。彼が欲しているのは、「不幸な状態から自分たちの思いをそらし、気を紛らせてくれる騒ぎ」なのだから。
つまりウサギは、ウサギ狩りにおける〈欲望の対象〉ではあるけれども、その〈欲望の原因〉ではない。
それにもかかわらず、狩りをする人は狩りをしながら、自分はウサギが欲しいから狩りをしているのだと思い込む。
つまり、〈欲望の対象〉を〈欲望の原因〉と取り違える。
賭け事でも同じように〈欲望の対象〉と〈欲望の原因〉を区別できる。
賭け事をしたいという欲望はもうけを得ることを対象としている。
だがそれは、賭け事をしたいという欲望の原因ではない。
繰り返すが、「毎日カネをやるから賭け事をやめろ」と言うなら、あなたはその人を不幸にすることになるのだ。
その人はもうけが欲しいから賭け事をしているわけではないのだから。
どちらの場合も、〈欲望の原因〉は部屋にじっとしていられないことにある。
退屈に耐えられないから、人間のみじめさから眼をそらしたいから、気晴らしがほしいから、汗水たらしてウサギを追いもとめ、財産を失う危険を冒して賭け事を行う。
それにもかかわらず、人間は〈欲望の対象〉と〈欲望の原因〉を取り違える。
ウサギが欲しいからウサギ狩りに行くのだと思い込む。
感想
退屈に耐えられないから、人間のみじめさから眼をそらしたいから、気晴らしがほしいから、財産を失う危険を冒して賭け事を行う、というのは極端な意見かもしれませんが、おもしろいと思いました。
下記の本を參考にしました
『暇と退屈の倫理学』
國分 功一郎