こんにちは。冨樫純です。
哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
人間が豊かさを喜べないのはなぜなのだろうか?
豊かさについてごく簡単に考察してみよう。
国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕がうまれる。その余裕にはすくなくとも二つの意味がある。
一つ目はもちろん金銭的な余裕だ。人は生きていくのに必要な分を超えた量の金銭を手に入れる。
稼いだ金銭をすべて生存のために使い切ることはなくなるだろう。
もう一つは時間的な余裕である。社会が富んでいくと、人は生きていくための労働にすべての時間を割く必要がなくなる。
そして、何もしなくてもよい時間、すなわち暇を得る。
では、続いてこんな風に考えてみよう。富んだ国の人たちはその余裕を何に使ってきたのだろうか? そして何に使っているのだろうか?
「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなことをしている」という答えが返ってきそうである。
たしかにそうだ。金銭的・時間的な余裕がない生活というのは、あらゆる活動が生存のために行われる、そういった生活のことだろう。
生存に役立つ以外のことはほとんどできない。ならば、余裕のある生活が送れるようになった人た
ちは、その余裕を使って、それまでは願いつつもかなわなかった何か好きなことをしている、と、そのように考えるのは当然だ。
ならば今度はこんな風に問うてみよう。その「好きなこと」とは何か? やりたくてもできなかったこととはいったい何だったのか?
いまそれなりに余裕のある国社会に生きている人たちは、その余裕を使って何をしているのだろうか?
こう問うてみると、これまでのようにはすんなりと答えが出てこなくなる。もちろん、「好きなこと」なのだから個人差があるだろうが、いったいどれだけの人が自分の「好きなこと」を断定できるだろうか?
土曜日にテレビをつけると、次の日の日曜日に時間的・金銭的余裕をつぎ込んでもらうための娯楽の類を宣伝する番組が放送されている。
その番組を見て、番組が勧める場所に行って、金銭と時間を消費する。さて、そうする人々は、「好きなこと」をしているのか?
それは「願いつつもかなわなかった」ことなのか?
「好きなこと」という表現から、「趣味」という言葉を思いつく人も多いだろう。
趣味とは何だろう? 辞書によれば、趣味はそもそもは「どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方」(強調は引用者)を意味していた(『大辞泉』)。
これが転じて、「個人が楽しみとしている事柄」を指すようになった。
ところがいまでは「趣味」をカタログ化して選ばせ、そのために必要な道具を提供する企業がある。
テレビCMでは、子育てを終え、亭主も家にいる、そんな年齢の主婦を演じる女優が、「でも、趣味ってお金がかかるわよね」とつぶやく。
すると間髪を容れず、「そんなことはありません!」とナレーションが入る。
カタログから「趣味」を選んでもらえれば、必要な道具が安くすぐに手に入ると宣伝する。
さて、カタログからそんな「その人の感覚のあり方」を選ぶとはいったいどういうことなのか?
感想
カタログから「趣味」を選んでいるという話が
特におもしろいと思いました。
下記の本を參考にしました
『暇と退屈の倫理学』
國分 功一郎