こんにちは。冨樫純です。
政治哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
美しい国をつくる民主主義
プラトンは『国家』のなかで、民主制における人びとの生き方について、ソクラテスに次のように語ってもらっています。
「まず第一に、この人々は自由であり、またこの国家には自由が支配していて、何でも話せる言論の自由が行きわたっているとともに、そこでは何でも思いどおりのことを行なうことが放任されているのではないかね?」
「いかにも、そう言われています」と彼は答えた。
「しかるに、そのような放任のあるところでは、人それぞれがそれぞれの気に入るような、自分なりの生活の仕方を設計することになるのは明らかだ」
「ええ、むろん」
「したがって、思うにこの国制のもとでは、他のどの国よりも最も多種多様な人間たちが生まれてくることだろう」
「おそらくは」とぼくは言った、「これはさまざまの国制のなかでも、いちばん美しい国制かもしれないね。ちょうど、あらゆる華やかな色彩をほどこされた色とりどりの着物のように、この国制も、あらゆる習俗によって多彩にいろどられているので、この上なく美しく見えるだろう。
「そしてたぶん」とぼくはつづけた、
「ちょうど多彩の模様を見て感心する子供や女たちと同じように、この国制を最も美しい国制であると判定する人々も、さぞ多いことだろう」
ここでの「彼」は、プラトンの長兄アディマントスです。この場面でソクラテスとアディマントスは、国制の変遷についてやり取りをしています。
「富へのあくことなき欲求と、金儲けのために他のすべてをなおざりにすること」によって滅ぼされた寡頭制は、民主制へと変化します。
この民主制国家が善と規定するものが自由です。 「じっさい、君はたぶん、民主制のもとにある国で、こんなふうに言われているのを聞くことだろう」とソクラテスは言います。
「この〈自由〉こそは、民主制国家がもっている最も善きものであって、まさにそれゆえに、生まれついての自由な人間が住むに値するのは、ただこの国だけである、と」。
しかしこの民主制もまた、自由へのあくなき欲求のために崩壊するとされています。
僭主独裁制になるのです。
プラトンは、師匠のソクラテスを死刑にしたアテナイの民主制を恨んでいました。
それもあって彼は「優秀者支配制」すなわち哲人王による政治を最善の国制としているのですが、
最も美しい国制としての民主制の可能性に言及せざるをえませんでした。
自由(個人の幸福)と民主主義(社会の公正)は現代社会の双子の価値です。
個人の自由とそれを支える権利のために、民主主義の手当てをし、独裁への変化を止めなければなりません。
感想
民主主義と自由は切り離せないもののように感じました。
下記の本を參考にしました
『正義とは何か』
現代政治哲学の6つの視点
神島 裕子著