とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

頑張らないキャンペーン

こんにちは。冨樫純です。

 


哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル

 


頑張らないキャンペーン

 


岩手県が2001年に始めた「がんばらない宣言 いわて」は、頑張り、努力主義の価値観を自治体が率先して問い直そうとした画期的なキャンペーンです。

 


頑張り、努力主義は人々の間に存在する「平等」「共通体験」「共通目標」の三つに支えられてい

ます。

 


この「共通目標」こそ、キャンペーンをけん引した増田寛也知事(当時)が地方から独自に追求したものでした。

 


増田氏は2004年2月、秋田県庁に招かれた講演会でキャンペーンの狙いについて解説しています。

 


ここで問いかけているのは、今までよく頑張れ、頑張れと言っていたその頑張る方向を、ベクトルの方向を頑張りませんということで否定したということです。

 


大変回りくどい言い方をしていますが、20世紀の大量生産・大量消費、大量廃棄しているような効率優先・貨幣経済一辺倒のような、そういう方向性として頑張れ、頑張れと言ってきたことを否定した言葉として使っています。

 


だから先ほど言いましたようなスローライフとかスローフードとかペレットストーブの開発、東京的な価値観から言えば間伐材は全然経済的な価値はありませんから、それは山の中においておけということになる。

 


でも、いつか大雨が来れば全部川の方に流れてきて、大変な災害を起こしますし、それでなくとも岩手県の場合は80%が森林資源ですから大変もったいない。

 


見方を変えれば、それがペレットストーブとして有効活用できるのではないか。ただ、経済的にはペレットストーブは成り立ちません。価格が高いのです。

 


配送のところも今いろいろ研究していますが、 十分な形ではまだうまくいきません。

 


要するに頑張れ、頑張れと言って向かっているベクトルの方向をもう一度考え直して、それで新たな方向に努力をするとか新たにそれに向かって汗を流していくという、そこをもう一度再確認したいと思います。

 


私どもは行政の方向として東京と同じ方向を向いて金太郎飴みたいなまちづくりはしたくないし、お金をかけて何か全部それで解決するような行政もやりたくない。

 


地域力をしっかり見ていくとか、そういうことで行政を展開していきますという、我々の志というか、心意気を言葉に込めて申し上げたものです。

 


まだ、県内でも随分議論はありますが、それを言って初めて自分たちで、じゃあ自分たちの地域の価値は何だろうかとか、外の人達も岩手の価値というのは一体なんだろうかということを初めて気がついたり、議論をしてくれたりするものです。

 


こういう「がんばらない宣言」という言葉自身を提起したということは、言葉、ワーズの力というのは非常に大きいなということを改めて思いましたし、これを契機に私も自分で気がつかないようなことをこれからもっと行政の中に取り込んでいければなと思っています。

 


「がんばらない宣言 いわて」に寄せられた意見は賛同や支持ばかりではありませんでした。

 


2004年12月の定例県議会で、増田知事は保守系議員から厳しく追及されました。

 


質問と答弁は次の通りです。私は、岩手県の人々は、明治維新後賊軍と言われ、長い間僻地と言われながらも、夢と希望を持って頑張り、その心が岩手の人間性をつくってきたのであり、いまだ

に私はがんばらない宣言は納得していないと話しました。

 


〔前略〕 アメリカで、この新聞の6月30日の一面準トップに、増田知事の写真入りでこのことが報道されました。

 


この記事の表題に、岩手県は今まで成功しなかっ

たから頑張らないと決めたとあります。 私は英語に不案内ですが、GIVEUPと書いてあります。

 


要するに、増田知事には不本意と思いますが、どんなに頑張っても岩手は明るい見通しがないので、がんばらない宣言をしたと読めるのであります。

 


そして記事には、日本で頑張らないというのは、アメリカで自由に反対することと同じぐらいおかしいことだと。

 


平成22年度から15年度の4年間に、この宣言のために約1億9500万円を全国紙中心に広告費を支出しております。

 


これは、1年平均約5000万円の多額の出費であります。この広告に対する全国からのはがきなどによる反応は、年間で2万3862通とのことですから、計算すれば1通当たり約8200円の費用がかかったことになります。

 


今、県財政が極めて厳しく、職員削減と経費節減のために各事業を見直し、零細な補助金を廃止して県民に忍従を求めているときに、この4年間で約2億円もの広告宣伝費の支出は妥当にして必要不可欠な経費でしょうか、増田知事にお伺いします。

 


これに対し増田知事は次のように答弁しました。

 


従来はともすれば見過ごされてきた地域の潜在力を発見、発掘し、これを発揮させていこうという取り組みが県内各地域で脈々と今起こってきております。

こうした動きをさらに後押しをしていきたい。そして、こうした地域の力を対外的に発信していくことがこうした取り組みをさらに強力に進めていくことにつながると考えておりまして、岩手の地域の持つ力を対外的に積極的に発信し、そしてまた後押しをしていく、そのためにこのがんばらない宣言が提唱している岩手らしい価値観を大いに世の中に伝えていきたいと考えている。

 


頑張り、努力主義とは正反対の頑張らない、脱努力主義の思想が、地方創生と深く結びつくとき、私たち日本人の「共通目標」は「成長」から「持続的発展」に変換していくと考えられます。

 


その変換は努力主義と脱努力主義のせめぎ合いによるため、まだら模様を形成せざるを得ません。

 


県議会における増田知事と保守系議員の攻防はま

だら模様の象徴だといえます。

 


「がんばらない宣言 いわて」について、文化人類学者の辻信一氏は著書 『スローライフ100のキーワード』(2003年)で解説しています。

 


増田知事によれば、「がんばらない」とは、地域がこれまでのように東京とかニューヨークとかのモノサシで、「ないもの」を数え上げて、それらを得るために他の地域と競争するのではなく、「あるもの」を再発見することを通して、それぞ

れの地域の「身の丈」や個性やペースに合った発展の道を開いていくことだ。

 


辻氏の言うように、「頑張らない」には地方創生、地方文化の再発見、身の丈に合ったやさしい暮らしを想起させます。 「がんばらない宣言 いわて」は、国連が掲げる持続可能な開発目(SDGs)の先取りだったことが分かります。

 


「頑張らない」を主題にした本や雑誌、キャンペーンが1997年以降に集中しているのは、先に触れたように99年から98年にかけて証券会社や銀行の経営破綻が連続したことが背景にあります。

 


赤瀬川原平氏の『老人力』の雑誌初出は99年でした。頑張りたくても頑張れない。もう頑頑張りたくもない。そうした気分が日本に広がっていました。

 


リバイバルプランと呼ばれる日産自動車のリストラ計画が発表になったのは90 年です。

 


3年間で20%のコスト削減を求め、2万人員削減方針を打ち出しました。

 


終身雇用制度が崩壊の淵に追いやられました。

 


感想

 


「頑張らないキャンペーン」と題して、注目を集めることは良かったと思いますが、その真意が伝わっていないのは残念です。

 


下記の本を參考にしました

 


『「頑張る」「頑張れ」はどこへいく』

 努力主義の明暗 

 大川清文著

 帝京新書

 

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