とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

努力が馬鹿馬鹿しい時代

こんにちは。冨樫純です。

 


哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル

 


バブル時代

 


日本経済は1980年代の前半、安定成長を保ちました。

 


後半は後に命名された「バブル経済」期に当たり株価や地価が高騰し、企業は海外不動産を買いあさりました。

 


日本人の多くが絶好調の日本経済に自信を深め、日本型経営が海外から注目されたことも加わって日本人の自己満足は自信過剰とうぬぼれに変わりました。

 


それは頑張り、努力主義に暗い影を落とします。濡れ手に粟で利益を上げた人たちが相次いだことで資産・所得格差が拡大し、不労所得の増大は勤労意欲を減退させました。

 


高齢社会の到来と生活大国を目指す国民の志向性が拝金主義と重なり「真面目に働くことがばかばかしい」状況になりました。

 


コツコツ働く、コツコツ勉強することの意味が大きく揺らぎます。

 


従来の頑張り、努力主義は危機に直面したわけです。

 


1991年、株価と地価が下落しバブル経済は崩壊しました。景気は冷え込みました。

 


長期の不況はそれ以降、「失われた10年」と呼ばれ、次には「失われた20年」、そしていまや 「失われた30年」といわれています。

 


これに対しアメリカは90年代を通じて好景気を維持しました。

 


日本経済に衝撃が走ったのは、99年から98年にかけて三洋証券、北海道拓殖銀行山一證券日本長期信用銀行日本債券信用銀行が次々と経営破綻し、日本が金融危機に陥ったからでした。

 


日米が経済の覇権を競い合う「日米経済戦争」は、アメリカが再び勝者となり、日本は敗者となりました。

 


アメリカは世界経済において、「一人勝ち」したともいわれます。日本が敗者になったとはいえ、40年代の敗戦後の状況、あるいはさらにさかのぼって2年に始まった世界大恐慌のときの状況とはまったく異なりました。

 


日本人が飢えることはなかったからです。90年代はあくまでも「豊かさの中の不況」でした。

 


教育分野に目を移すと、2000年は高校進学率が99.9%とほぼ「高校全入」状態となり、大学進学率も4.1%に達しました。

 


特に大学は大衆化かつ娯楽化したといわれます。

 


頑張り、努力主義はさらに存在感を失って下降していきました。『「がんばる」基盤の消滅』を言い出す研究者も現れました。

 


理由の一つは、「豊かさ」がある程度維持されていたことです。

 


もう一つは、二世政治家あるいは二世のスポーツ選手の活躍に見られる「二世ブーム」により、「いくら頑張っても血筋にはかなわない」とする「頑張り」の報われない状況が生まれていたことです。

 


「頑張り」の目標であった「物質的な豊かさ」が達成された後、日本社会の新たな目標について国民の間で合意が形成されていないことも頑張り、努力主義の衰退に拍車を掛けました。

 


「頑張り」と豊かさの間には両立できない関係性があります。パラドックス(逆説)と言ってもいいでしょう。

 


頑張って豊かになれば頑張らなくなる。でも頑張らなければ豊かになれないバブル経済はその関係性を切り崩しました。

 


頑張らなくても豊かになれる。豊かになるには錬金術を使えばいい。「頑張り」は必要ない。

 


バブルがはじけた代償は高くつくことになります。アイデンティティを一度喪失するとそれを回復するのは容易ではないからです。

 


ここから頑張り、努力主義は漂流を始めます。

 


漂流は当然の帰結でした。頑張り、努力主義は人々の間に存在する「平等」「共通体験」「共通目標」の三つに支えられていたからです。

 


バブル経済は、濡れ手で粟により甘い汁を吸う拝金主義を日本社会に醸成しました。

 


他人を出し抜くことに快感を覚え、出し抜かれた人をあざける風潮が広がりました。 「平等」「共通体験」 「共通目標」の三つは根腐れしたのです。

 


感想

 


たしかに、努力が馬鹿馬鹿しい時代もあったと思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


『「頑張る」「頑張れ」はどこへいく』

 努力主義の明暗 

 大川清文著

 帝京新書

 

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