こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
地方と農村の景観
都市の周辺には、豊かな農地が広がっている。
日本の森林面積比率は67%と世界でも有数の高さであり、緑に覆われた国である。
日本人の多くは2、3代前まで、農民であった。
農村は日本人の心の原風景となっている。
しかし、現在、農村は多くの問題を抱えている。
とくに中山間地域は「過疎問題」で苦しんでいる。 村人の流失で集落が存続の危機にあるところも少なくない。 日本農村の伝統的な過剰人口問題は嘘のようである。
2012年現在、日本の農業就業人口は251万人でしかない。 専業農家は 1955年に農家全体の34.9%を占めていた。
それが、95年には16.1%と大幅に減少する。さらに、農業を主とする第1種兼業農家は 37.6%から18.8%へと半減したのに対して、農業を副業とする第2種兼業農家は 27.5% から 65.1%へと飛躍的に増加した。
日本は農家の兼業が進み、欧米諸国に比べて零細な兼業農家が数多く残ることとなった。
かつて農業は厳しい重労働を必要とした。 しかし田植え機、コンバイン、トラックなどの機械の導入や化学肥料の導入、除草剤や防虫剤など農薬の普及で省力化が進んだ。
農家の他の仕事への就業が進むとともに、零細な農地は三ちゃん (じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん) 農業、休日農業によっても耕作可能となった。
その結果、農村には根底的な変化が起こった。
農村は機械化と兼業化により、以前とは決定的に異なったものとなっている。
農村はあってもかつての「農民」はいないのである。
現代の農家の大多数は経済的には、農業だけで生活しているわけではない。
農家の農業所得はせいぜい20%程度でしかない。農民といってもじつは大多数が農業を兼務する農地環境に住む住民なのである。
農村は風景も大きく変えた。今では、茅葺きの家を見ることは少ない。 また、多様な形態をもっていた農地は、機械の導入にともなって、整然とした形態に整理された。
さらに農業の省力化で農地から人が消えた。 そして何よりも、農村の生活が都会と変わらないものとなっている。
現在の日本に、かつての貧しき農村のイメージはない。
それは、農村が農業によって支えられていないからでもある。
ところが、農村地域のてこ入れ策はもはや限界をきたしている。
農村を支えてきた公共事業も抑制に転じた。 進学や就職を機会に都会へ出て行った住民はめったに戻ってこない。
また、農家は早くから嫁不足に見舞われていた。
とくに過疎地では以前のような急激な人口減はなくなったが、人口流失は続いている。
高齢化率は30%に達しており、全国の平均より20年も先行している。 過疎市町村の約7割では、住宅の整備などといったUターンなどの促進策がとられている。
しかし過疎地内の約1割の集落で、耕作放棄地の増大や伝統的祭事の衰退など集落機能の維持が困難になっている。
また、機械化された農業により以前ほど近隣との関係を強く必要としなくなっている。
日本における 1960年代の経済の高度成長を支えたのは、豊かな農村の労働力であった。
それは農村の過剰人口の解消過程でもあった。これに対して、 西ヨーロッパ諸国の60年代の経済成長にともなう深刻な労働力不足を支えたのは、外国人の労働者の導入であった。
ロンドン、パリ、ベルリンなど大都市では、60年
代に多様なエスニシティ的背景をもった人びとが急増する。
日本農村の過剰労働力も70年代にはすでに枯渇し過疎がいわれるまでに至っていた。
このため80年代に入ると、 外国人労働者が急増することになる。 日本には戦前から多数の韓国・朝鮮系住民が居住しているが、新たに外国人が仕事を求めて流入することとなる。
それは中国、韓国、中南米、フィリピンをはじめ
東南アジア、南アジア、西アジア、アフリカにまで広がっていった。
感想
現代では、労働力を解消する手段は外国人労働者に頼るしかないのだろうかと感じました。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ