こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 「学歴社会」 の拡張
教育と職業との結びつきは、日本では「学歴社会」 として知られている。
これは、1つの社会の見方である。
単純化していえば、テストでよい成績をあげることが,「いい学校」や「いい大学」への入学のチャンスを決め、そこを卒業することが、「いい会社」の就職のチャンスや、その後の昇進のチャンスと結びついている、という社会観である。
しかも、このような信念は、一定程度、現実を反映していた。
人びとの単なる思いつきや幻想ではなく、安定した高収入の仕事に就くチャンスは、人びとの学歴段階やどんな学校を出るかによって、ある程度左右されたのである。
だからこそ、少しでも有利な進路を求めて、「いい学校」とみなされる学校への受験者が増え、その結果、受験競争が激しくなった。
そのような現実を反映して、 「学歴社会が激しい受験競争を生み、教育をゆがめている」といった、学歴社会、受験競争批判が生まれ広まっていった。
しかし、こうした学歴社会批判は皮肉な見方でもあった。
こういう見方が広がった結果、かえって学歴の有利さに人びとは目を向け、より有利な進路を求めて受験競争に参加する人びとを増やしていったからである。
もう1つここで注目しておきたいのは、誰にでも教育を受けるチャンスをできるだけ提供しようとする場合でも、どのような教育を受けられるようにするかという問題であった。
この点で、20世紀終わり頃までの戦後の日本社会に特徴的だったのは、少なくとも小中学校の間は、子どもたちを能力や成績によって区別し、それにもとづいて異なる教育を与えることは、「差別的」だとみなす見方 (「差別選別教育批判」) が教育界では広く強く支持されていたことである。
このような考え方が強い影響力をもったために、低い年齢段階(たとえば小学校卒業時など)から、 将来の進路にあわせて、別々の教育を受けさせようとする学校制度(「分肢型」と呼ばれる)はつくれなくなった。
入学試験のある高校段階でも、日本では、大学進学に不利になる職業教育や専門教育の学校をたくさんつくるより、できるだけ多くの生徒に普通教育(英数国理社などの普通科目を教える)を与えようとした。
また、2000年代に入る頃までは、日本の公立小中学校では、能力別や習熟度別の授業集団がつくられることはほとんどなかった。
アメリカ型の学校制度を導入したとはいえ、本国のアメリカでは早い段階から能力別の指導がおこ
なわれていたのとは対照的に、日本では、能力や成績で子どもたちに異なる教育を受けさせることには強い抵抗感があったのである。
子どもたちが、差別感を覚えることをできるだけ避けようとした教育の考え方であった。
感想
できるだけ差別感をなくそうとするのはなぜなのかという疑問が残りました。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ