こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 見えにくい将来像
5年後10年後の自分の将来について、まだ漠然としすぎていて、具体的なイメージが全然わかないという人もいるだろう。
自分が本当にやりたいことがわからないとか、就職活動を実際に始めてみるまではそういうことを考えたくない、という人もいるだろう。
それでも、たいていの人は5年後には、自分がもう学生ではなくなっていると思っているだろう (大学院進学や留学をする人もなかにはいるだろうが)。 「学校」と呼ばれる場所にずっといた自分(園児,児童、生徒や学生だった自分) が、そこから離れた存在になる。
そういうときに、何をしたらいいのか。
具体的なイメージがつかめない。 そういう状態自体を含めて、社会からの影響について考えてみよう。
具体的な将来像がつかみにくい人でも、学校を出たら、いつかは「自立」するものだという思いをどこかで抱いているはずだ。
生徒や学生ではなくなることが、何もしなくなることではなく、自分で生活費を稼いだり、職業に就くことにつながるという見方をもっているということだ。
別の見方をすれば、学校にいる間は、自立していなくても、職業に就いていなくてもよい、という見方が共有されているということでもある。
E. エリクソンという心理学者が使いはじめた 「心
理社会的モラトリアム (執行猶予)」 という言葉があるが、社会が豊かになるにつれ、大人になるまでの試行錯誤をする猶予期間を多くの若者たちが享受できるようになった。
感想
たしかに「学校」にいるあいだは自立しなくてもいい風潮はあると思います。
学校が自立を阻んでいるということだろうか。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ