とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

子ども解放運動

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学法哲学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


いまこそ「キッズリブ」を!

 


私有財産権の理論は、自活を目指す若者を雇うことを経営者に強制してはいない。

 


たしかに、だれかが彼に仕事を与えてくれないかぎり、自立した生活を手に入れることは不可能だ。

 


これでは、親が家を出ることを禁じたり、国家がそれを規制したりすることとなにも変わらないように見える。

 


だがいちばんのちがいは、子どもから大人へと成長する自発的な過程は、彼を雇うことを拒否した雇用主によって侵害されているわけではない、ということだ。

 


真の「自発性」は、契約を結ぶ双方が進んでサインをすることからしか生まれない。雇う側も雇われる側も、契約に合意しないかぎり、なんらかの義務を負うことはない。

 


当然、若者の採用を断った経営者に「道徳的責

任」があるはずもない(児童労働が法律で禁止されていなければ、すべての経営者は自分が利益にな

ると思う範囲で若者を雇うだろう)。

 


ここで重要なのは、子どもから大人への平和的で自発的な移行のために「児童労働の禁止」 を撤廃させることだけではない。

 


それよりもっと大事なのは、ささやかながらも育ちつつある「キッズリブ(子ども解放運動)」である。

 


子どもの真の「解放」とは、たとえ親の家に住んでいてもはたらく機会を奪われないことだ。

 


「家を出よ。自活せよ」とスローガンを叫んだところで、社会が自立することを拒んでいるのなら、そんな権利になんの意味があるだろう。

 


うっとうしい親を「クビ」にする子どもの権利は、児童労働を禁止する悪法によって根本的に損なわれているのである。

 


ここでもういちど、最初の問いに戻ってみよう。

「年齢や経験不足を考えるならば、子どもとの労働契約はほんとうに自発的と言えるだろうか?」

 


こたえは「イエス」である。家を出て自活しようとする意思があるならば、何歳であっても、自分の意思で契約を結べるまで十分に成熟しているのである。

 


この問いに「ノー」とこたえる人は、自立を目指す若者に大人になることを禁じているのだ。

 

 

 

「児童労働合法化」への反論はほかにもある。

 


たとえば、「貧しい若者たちは、貪欲な資本家か

ら一方的に搾取されるだけではないのか?」とか。

 


雇用主は、若者の苦境を利用して、好きなだけぼったくることができるのだから。

 


しかし、若年労働者の境遇がどれほど厳しくても、法律によって収入を得る道を閉ざされるよりはずっとマシである。

 


雇用主は冷酷かもしれないし、仕事は単調で給料は安いかもしれない。

 


だが、はたらく機会さえ奪われなければ、いつの日かよりよい仕事にありつけるだろう。

 


もしもほかに選択肢がないとしても、それが彼に与えられた、生き延びるための唯一のチャンスなのだ。

 


もっとも自由な労働市場では、雇用主が労働者の弱みにつけこんでぼったくることは原理的に不可能である。

 


市場には、労働者の生産力に見合うレベルまで賃金を引き上げさせる強い力(見えざる手)がはたらいている。

 


若者の貧しさや無力がどれほどのものであろうとも、それは雇用主のせいではない。

 


たとえその若者が自分自身を売り込む能力をまったく欠いており、雇用主がそれを利用して不利な契約を結ばせたとしても、雇用主を一方的に非難するのは筋違いだろう。

 


その不運な状況は、彼らが育った家庭環境が生み出したものだからだ。

 


感想

 


子ども解放運動という指摘がおもしろいと思いました。

 


子どもだからといって枠にハメ過ぎてもいけないと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


『不道徳教育』

 ブロック.W 他1名

 講談社

 

flier(フライヤー)