こんにちは。冨樫純です。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
人はいつ「大人」になるか
どのような恣意的な年齢も、子どもと大人を明確に分かつことはできない。
必要なのは、個々の能力や気質、行動のちがいにかかわらず万人に適用される固有の年齢ではなく、それらすべてを考慮に入れられる柔軟な基準なのである。
さらに言えば、この基準はリバタリアンの基本理念、すなわち私有財産権の原則と合致していなければならない。
自己所有権や私有財産権の原則を適用するためには、「子どもはいつ大人になるのか」というややこしい問いを避けて通るわけにはいかないのだ。
この問題を解決する理論は、マリー・ロスバード教授によって提唱された。
教授によれば、子どもが大人になるのはなんらかの恣意的な年齢に達したからではなく、私有財産権を確立し、自らの人生を管理するようになったときである。
すなわち彼が家を出て、独り立ちするときだ。
この基準だけが、恣意的な線引きへの批判を乗り越えることができる。そればかりでなく、リバタリアンの私有財産権の理論に合致し、それを実際に適用することができる。
家を出て自立することで、かつての子どもは開拓民のごとき 〝創始者"となり、自らの運命を自らの手で切り開くのだ。
この理論は、われわれにいくつものことを教えてくれる。大人になるということが自分で生活の糧を得、 自分の意思で決定することならば、両親にはこの選択に干渉する権利はない。
親は、子どもが家を出るのを禁じることはできない。 子どもが家にとどまるかぎりにおいて、子どもに対する権利と義務を持つだけだ(「この家にいる以上、親の言うことを聞きなさい」という小言はその意味で正しい)。
親は子どもの巣立ちを禁じてはいけない。それは、子どもが大人へと成長する過程を侵害することだからだ。
ロスバード教授の理論はまた、精神障害者の意思能力に関する問題を唯一、解決することができる。
子どもと大人を恣意的な年齢で線引きすれば、50歳の精神障害者は、彼が自分のことをどう思っていようとも大人であると見なされる。
われわれの社会には、この矛盾を取り繕うさま
ざまな「例外」が溢れている。
だが私有財産権の理論においては、このことはなんら問題にならない。自らの財産権を手にしていない(手にすることができない)以上、その人が何歳であるかにかかわらず、 「大人」ではないのである。
この理論のいちばんのポイントは、もちろん「児童労働」なるものの禁止に関してである。
ここでの「児童」とは、恣意的に決められた年齢よりも若い者と定義されているのだが、このような一方的禁止は、家出の決断に対する親の干渉と同様に、大人になるという「自発的な」可能性を片っ端からつぶしてしまう。
もし年齢が足りないからという理由ではたらくことを禁じられたら、家を出て自活するという選択肢は彼の前から消え去ってしまう。
私有財産権を奪われた彼は、社会が「大人」と定義する年齢に達するまでひたすら待たなくてはならないのである。
感想
子どもが大人になるのはなんらかの恣意的な年齢に達したからではなく、私有財産権を確立し、自らの人生を管理するようになったときである、という指摘は、なるほどなと思いました。
この理論が一番説得力があると思います。
下記の本を参考にしました
『不道徳教育』
ブロック.W 他1名