とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

お金が目の前にあると楽しい

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学法哲学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


どケチが私たちを豊かにしてくれる

 


価格の低下が不況を招く、というのも俗説である。

 


20世紀において、成功した商品の値段はずっと下がりつづけてきた。

 


車やテレビ、コンピュータが最初に登場したときは、その価格は目の玉が飛び出るほどで、とても一般庶民が手を出せる代物ではなかった。

 


技術革新によって値段が下がったことで、ようやく多くの消費者が購入できるようになったのである。

 


もちろん、なかには損をする人もいる。

 


それは、ケインジアンの分析を信じて、需要が減少しているにもかかわらず値段を据え置いた企業家だ。

 


だがケインズの言うように、そのことによって不景気が引き起こされることはない。

 


なぜなら、それ以外の不況の種など、そこらじゅうに転がっているのだ。

 


ビジネスは以前と同じように―だが、以前よりも安い価格で―つづいていくだろうから。

 


「どケチは有害で、経済に調整を強いる」という批判はまったく意味がない。

 


もしそれが事実だとしても、市場というものは消費者の嗜好の移り変わりによって常に変化していくものなのだから、それをどケチのせいにするのは筋違いだ。

 


もしもこの理屈が有効なら、ファッションだって

同じ理由で非難されてしかるべきだろう。

 


どケチが経済に対して有害にはならない理由はほかにもある。

 


もしも彼らが有り金すべてをマットレスの下に突っ込んでいたとしても、彼らの遺産相続人は、その金を使うという誘惑に抗しきれないだろう。

 


これは、いままでもずっとそうだったし、これからも変わらない。

 


経済学者のなかには、「タンス預金は、銀行に預けておけば本来得られたはずの利息を生まないから無意味だ」と言う人もいる。

 


だがそうなると、財布に入れたお金にも利息はつかないのだから、やはり無意味なのだろうか。

 


もしもある人が、自分の意思で利息を受けとることを望まず、タンス預金しているのならば、それがいかに馬鹿馬鹿しい行為に思えても、その人にとってはちゃんとした意味があるのである。

 


世のどケチは、将来使うためのお金を貯めこむのでもなければ、家計の収支のバランスを保とうとしているのでもなく、現金が目の前にあることが楽しいからそうしているのだ。

 


なぜ経済学者は、「効用の最大化」なる屁理屈を使って、この喜びを不毛だなどと言うのだろうか。

 


稀少な絵画や彫刻を収集する美術愛好家は、自分たちの行為を「馬鹿馬鹿しくて無意味」などと批判されることはない。

 


犬や猫を飼うのは、投資のためではなく、ペットたちから個人的な喜びを得るためである。

 


趣味や嗜好は人それぞれである。

 


ある人にとっては馬鹿馬鹿しいことに思えても、別の人にとっては人生をかけるような重大事だというのは、よくあることだ。

 


どケチは、大金を貯めこむことでわたしたちのヒーローになる。

 


人々は、その結果として生じるモノの値段の下落から大きな利益を得る。

 


同じお金でより多のモノが買えるのだから、いま持っているお金、これから使おうと考えているお金は、ずっと価値の高いものになる。

 


感想

 


世のどケチは、将来使うためのお金を貯めこむのでもなければ、家計の収支のバランスを保とうとしているのでもなく、現金が目の前にあることが楽しいからそうしているのだという箇所がおもしろかった。

 


貯金が趣味という人がいますが、こういう理由かもしれないと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


『不道徳教育』

 ブロック.W 他1名

 講談社

 

flier(フライヤー)