とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

ヘテロセクシズムとは

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


ヘテロセクシズム

 


「愛情で結ばれる男女の性関係」が自然なもの、理想とみなされてきたことは、逆にそれ以外の性関係を逸脱、病理、あるいは「変態」と差別し、差別を正当化することにもつながってきた。

 


同性愛への差別や偏見はその典型だ。

 


近年、多少はそうした偏見や差別が緩和されたかにも見えるが、しかし、残された問題はまだまだ多い。

 


性的指向のために人格や尊厳を否定され、社会経

済的不利益を受けるのは、女性への差別が許されないのと同様に許されない。

 


しかし他方、「同性愛者差別はいけないけれど、でも自分には直接関係ないこと」と思っている

とすれば、それは短絡的だ。

 


ミシェル・フーコーによれば、「同性愛」のカテゴリーは一九世紀後半西欧の特定の文脈から生

まれてきたものだ。

 


産業化が進行し資本制が発展するなかで、生産の領域と消費の領域が分離されて「公」「私」に割り振られ、それと男/女のジェンダーの区分が重ね合わされていく。

 


その分離をより確かなものするためには、男女が相補的かつ永続的に結びつき、そこで労働力と次世代を安定的に再生産していく家族の仕組み、つまり男女の性差別と性別役割分業にもとづく家族形態が必須であった。

 


そのため、婚姻内で生殖を目的としたセクシュアリティのみが「正しいセクシュアリティ」として高い価値をおかれ推奨される一方、それ以外の性、つまり同性間の性や婚前の性、婚姻外の性は異常・不道徳とされた。

 


近代を通じて、衛生や栄養に関する配慮、育児や教育など、生活の身体技法がさまざまな側面にわたって人々に行き渡るが、そのなかで、こうした性に関する規範はその中核をなした。

 


現在でも、子どものない夫婦が不完全、不幸とみなされたり、直接に生殖に結びつかない性的行為は「前戯」などとして低くあつかわれる。

 


この意味で、〈ヘテロ〉セクシズムとは、単に同性愛者への差別を指すだけでなく、私たちの誰もがセクシュアリティジェンダーをめぐって生かされている、差別の組み込まれた構造的現実を指すのだ。

 


このように、しばしば「本能」とすら錯覚されがちな「性的欲望」でさえ、生をめぐる政治のなかで構築されてきたものだ。

 


しかし、そのことを私たちは悲観する必要はない 。

 


というのは、逆にそれは、自明とされ、疑われない「恋愛」や「家族」に異なる意味を与え、新しい人間関係や親密なつながりのあり方を構想しうることを私たちに教えているのだから。

 


感想

 


婚姻内で生殖を目的としたセクシュアリティのみが「正しいセクシュアリティ」として高い価値をおかれ推奨される一方、それ以外の性、つまり同性間の性や婚前の性、婚姻外の性は異常・不道徳とされたという箇所がおもしろいと思いました。

 


多数派が正しいとは限らないということだと思います。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジェンダーで学ぶ社会学』  

 伊藤公雄 牟田和恵編著

 世界思想社

 

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