とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

「母性愛」の神話

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 「母性愛」の神話

 


イタリアの捨子養育院が機能を終えたのは、20世紀半ばであり、それは捨子が減り、嬰児遺棄が大きな社会問題ではなくなったからであるが、逆に見れば、比較的最近まで子どもが捨てられていたという史実に目をつぶるわけにはいかない。

 


生み落とされる子どもに焦点を当ててこれまで見てきたが、その同じ現象を、子どもを生む側に焦点を移せば、何が見えてくるだろうか。

 


フランスのエリザベート・バダンテールは、女性は子どもを生めば、教わらなくても十分に世話ができるのだろうか、すなわち、母性的行動は果たして本能といえるのだろうかという問いを立てた。

 


それに答えるために、歴史的事実を渉猟し、子どもを捨てたり、あるいは里子に出したり、乳母を雇ったりして、自分の手で子どもを育てようとしない母親がいかに多かったかを見いだした。18世紀末のパリで生まれた新生児のなかで、母親が自分の手で育てたのはわずかに5%であり、それ以外は、ほとんどが里子であったという。

 


都会の子どもは、このように遠い田舎に里子に出されるが、里親である女性は、我が子をさらに養育料の安い里親に預け、他人の子どもを育てて生計の手段とする。

 


現代の常識からは想像しがたい光景が展開されていたのを知ると、母性本能説を採用することはできないであろう。

 


フィリップ・アリエスが『〈子供〉の誕生』で指摘したように、「子どもらしさ」という観念が成立したのは近代以降であり、家族の肖像画が描かれたり、家族団欒といった家族の成員間で感情交流がなされるようになったのも、やはり近代に入ってからであった。

 


それ以前は、子どもとみなされる期間は短く、身の回りのことがおよそできるような年齢になれば、周囲の大人たちに混じって仕事や遊びをした。

 


そこでは、家族という垣根は低く、子どもが育つのは地域社会のなかにおいてであった。

 


女性に、家庭のなかでの子育てが本来の仕事として役割が割り当てられたのは、生物学的自然に従うというよりは、社会の変化の結果だとみなすほうが妥当だとバダンテールは考える。

 


すなわち、18世紀に、産業革命の進展とともに、生産水準が飛躍的に伸びたのを受けて、国家の経済力を高めるためには、労働力を確保することが急務とされた。

 


ドゥニ・ディドロの言葉にあるように、「国家は人口が多く、製造業に従事する腕と国家を守る腕が多いほど強い」。

 


つまり、政治的に見て、国民を増やすことが国富の源とされ、そのためには乳児死亡率を低下させねばならぬとして、母親が子どもを自分の手で育てることが要請されたのであった。

 


労働力の質をよくするためには、子どもの健康に留意するだけではなく、教師の役割も果たさねばならなくなり、母親自身が知識を身につけることが求められるようになった。

 


女性の生き方が、母親としての役割だけに特化

するのは、自ら選んだというよりも選ばされている部分が大きい。

 


その不自由さを感じないようにするには、選択を強いられたことに何がしかの満足が生じなければならない。

 


女性が、子どもの成長に喜びを見いだすとき、そのなかに、自分の努力の報酬を見ているとはいえないだろうか。

 


バダンテールの言葉を借りれば、子どもの人格は、母親の「栄光、あるいは失敗を映し出す鏡」なのだから、栄光を手に入れるためにも、子どもの成長=社会的成功者たることに自らの評価がかかって、いるといえよう。

 


感想

 


「子ども」が近代に入って作られたという見方があり、「母性愛」もそうだという。

 


われわれがあたり前だと思った見方がそうではいことを知るのは、やはりおもしろいと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジェンダーで学ぶ社会学』  

 伊藤公雄 牟田和恵編著

 世界思想社

 

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