こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
「父親論」ブーム?
いま、木曜の午後9時である。
さて、わがニッポンのお父さんたちは、現在、どこにいるのだろうか?
まだ会社で残業だろうか。 飲み屋で接待だろうか。それとも同僚と一緒にカラオケ・ボックスだろうか。通勤電車の中という人もいるかもしれない。
それにしても、家にいるお父さんはどれくらいいるのだろう。まあ、家にいるといっても、ビールを飲みながらテレビの前というお父さんが多いのではないかとは思うのだが。
「そんな今だからこそ」というべきか。 妻にとって、そして、子どもたちにとって、夫とは父親と
は、いったいいかなる存在なのか、どんな存在であるべきなのかが、問われはじめている。
また、男性の側からの父親の役割の問い直しもはじまろうとしている。
それは、まだまだ仕事中心主義の男が多い日本にかぎったことではない。
むしろ、日本以上に、アメリカ合衆国やヨーロッパ、さらにはアジアの諸国まで、〈父親論〉や〈男性論〉は、いま、ホットな話題になろうとしているのである。
アメリカの大きな書店には、「Fathering」 (父親業)の本の類いが山積みになっていることだって珍しくない。もちろん、いかに父親として子どもたちとかかわったらよいか、ということをテーマにした本だ。
日本の本屋さんにだって、このごろ父親モノはけっこう目立つ。ただし、この父親論のブームは、日本では、まだまだ〝古い父権の復権"といった議論が多いように思う。
いわく 「子どもが非行に走ったのは、母親たちが甘やかして育てたからだ。だから、昔ながらの怖いガンコ親父の復活が必要だ」なんて議論をよく目にする。
しかし、国際的に見ると、大きなトレンドは、日本の一般書の多くが説くような古い親父イメージの復活とは異なる方向を向いているようだ。
これまでの「道徳の教え手としての父親像」、「一家の稼ぎ手としての父親像」、「男の子のモデルとしての父親像」といった父親イメージは、もはや古いものになろうとしている。これからの父親像として浮上しつつあるのは、どこの国でも「子どもの養育に積極的にかかわる父親像」というものだ。
日本社会においても、家事や子育てを、 妻の補助的な役割という点から見るのではなく、当然の自分の仕事として引き受けようとする父親や男たちを論じた本もいくつか存在している。
古いところではすでに1980年代に出版された『家事・育児を分担する男たち』や『男の育児書』( ともに現代書館)、さらに「男も女も育児時間を!連絡会(育時連)」の編集した『男と女で「半分コ」イズム』(学陽書房)などがあるし、90年代に入ると、『父子手帳』(大月書店)が出て、大分県などの自治体がそのダイジェスト版をパンフレットにして配付するにいたっている。
感想
たしかに、「イクメン」と言われるように、父親像は変化していると思います。
下記の本を参考にしました
『男性学入門』
伊藤 公雄
作品社