こんにちは。冨樫純です
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
豊かな女性を襲う「得体の知れない悩み」
「リベラル・フェミニズム」や「社会主義フェミニズム」が主張してきた市民権における男女平等や、女性の働く権利の擁護と、それを支える社会的サービスの充実というテーマは、今なお、女性問題の大きな課題になっている。
しかし、1960年代後半以後、これらの従来のフェミニズムに対して、新たなフェミニズムの
波がやってくることになる。
そのきっかけをつくった、一冊の本がある。
それが、ベティ・フリーダンの書いた『女性の神秘』(日本では「新しい女性の創造』 三浦冨美子訳、大和書房、という書名で翻訳されている)だ。
フリーダンは、この本の冒頭で、1960年前後のアメリカ合衆国の、郊外に暮らす 「豊かな」 はずの中産階級の専業主婦たちを襲った「得体の知れない悩み」について書いている。
長い間、ある悩みがアメリカ女性の心の中に秘められていた。20世紀の半ばになって、女性たちは妙な動揺を感じ不満を覚え、あこがれを抱いた。
郊外住宅の主婦たちは、だれの助けも求めずにひそかにこの悩みと戦ってきた。
寝床を片付け、食料品を買いに出かけ、子どもの世話をし、夜、夫の傍らに横になる時も、「これでおしまい?」と自分に問うのをこわがっていた。
フリーダンは、こうした女性たちの間に広がる悩みの正体に迫ろうとする。
秘められていたこの悩みの正体はいったいなんなのだろう? このことを話したいとき、 女性はどんな言葉を用いたのだろう?
ある女性は「どういうわけか無意味に感じるのです…..….、みち足りないのです」と言い、また「生きているような気がしないのです」とも言った。
時には鎮静剤でこの気持ちを消す女性もいた。
そうかと思うとこの悩みを夫や子どもたちのせいにする女性もいたし、家の模様替えをすればよいと考える女性、もっと良い環境の土地に引っ越せばよいと思う女性、また、恋をすればよいとか、もう一人子どもができればよいと考える女性もいた。
ある女性は、「そんな気分」になると、家から駆け出して、道をどんどん歩くのですと、私に話した。
フリーダンは、豊かなはずの女性たちを襲う、こうした〝得体の知れない悩み”の背景に、女性
を縛っている社会的な「女らしさ」の強制と、それによってもたらされた「自己成長」ができない
という無力感を見いだすのだ。
人間として自分を知る唯一の方法は、自分で創造的な仕事をすることである。
いわゆる女性の自己実現へ向けての飛躍が、ここではっきり宣言されたのだ。
フリーダンのこの本は、瞬くまに全米でベストセラーになった。また、多くの女性たちが、行動を開始した。
その成果として、1966年に、今なおアメリカ合衆国において、強力な発言権をもちつづけている「NOW」(全米女性機構)が発足し、フリーダンはその初代会長に就任した。
感想
「得体の知れない悩み」は女性だけはなく、男性にもあるような気がします。
ただ、具体的には思い浮かばないですがか
下記の本を参考にしました
『男性学入門』
伊藤 公雄
作品社