とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

闘争を肯定的に捉える

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル リアリズムの立場に立つ闘争論

 


アメリカの「ローカルな」価値観を「グローバル・スタンダード」という いい方で絶対視するような安易な競争絶対主義はたしかに批判されるべきだが、しかしだからといって、「絶対平等」の観点に立って〈競争=悪〉という考え方に偏るのもまたおおいに問題がある。

 


どちらの立場も、私たちが生きていくなかで幸福の条件を模索する際の足がかりを準備するような考え方ではない。

 


ジンメルは、矛盾や対立や反対や競争といったいのが全くなくなることが社会にとってめざすべき理想なのではなく、そうした要素が社会が発展的に動いていくためのダイナミズムの核とできるかどうかが、その社会がに熟しているか否かの試金石になるという考え方を提示している。

 


私はこうした考え方はとても大切だと思う。

 


「調和」や「統一」、あるいは「共同」や「一体」―こうした人間どうしのつながりに肯定的なイメージを与える言葉に依拠し、現実の社会を批判しようとする考え方は枚挙にいとまがない。

 


現代社会は「調和」や「統一」を失ったバラバラの個人のたんなる集合体であり、人間どうしの「一体」性が解体した非人間的な組織体であるといった考え方がその代表的なものだ。

 


しかし近代以降の社会をこのような観点から「全否定」するような発想では、ただ「こんな社会は間違っている」という社会に対する不全感の表出だけに終わり、何が歴史的に達成された成果で何が解決していくべき問題なのかとか、私たちの社会を内側からだんだんよくしていくにはどのような道筋を描いたらよいのか、といった考え方の方向性を見失わせることになると私は考える。

 


闘争(あるいは競争)を考えるにしても、それらを頭から否定してしまうのではなく、闘争が社会の関係の形式としてどのような特質をもっているのかキチンと明らかにして、その上で何が問題になるのかということを明らかにしなければならないはずである。

 


つまり、競争や闘争を否定するのではなく、どのような種類の競争や闘いなくしていかなければならないか? というかたちで現実の問題は考え直されなければならない。

 


そしてそのことが〈私〉の立場から社会の問題につなげて考えていく道筋を失わない社会認識の深まりを可能にする―そのようなある種の〈リアリズム〉の立場に立った競争や闘争への理解・分析がこれからますます必要になることは明らかだろう。

 


ジンメルの「闘争」論はそうした作業を行なう際の基礎的視角を私たちに与えてくれているのだ。

 


感想

 


「調和」や「統一」、あるいは「共同」や「一体」―こうした人間どうしのつながりに肯定的なイメージを抱きがちだと思いますが、その逆を肯定的に捉えるというのはなかなかできることではないと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジンメル・つながりの哲学 』

   菅野 仁

   NHKブックス

 

flier(フライヤー)