こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 「ゲームのエロス」と闘争
純粋に闘争そのものが目的とされ、それが楽しまれるということもある。
いわば人間の闘争衝動が純粋に表現される場合である。
これが「競技」である(オリンピックやサッカーのワールドカップのあの盛り上がりは、人間は競い合うことそのもの、そして競い合いを見ることがいかに好きかをみせてくれたとはいえないだろうか。
人と競い合って勝利を味わうことの魅力、つまり「闘争への の欲望」は、人間の生の喜びの基本の一つと考えられる。
それが最も純粋な形式として表現されたのが、純粋なゲームとしての競技なのだ。
そこでは現実の利害や損得を全くかけ離れて純粋にゲームそのものにおける勝ち負けが争われる。
サッカーを例にとれば、丸いボールを大の大人が合計22人もよってたかって追いかけて相手のゴールに蹴り入れることにあんなに夢中になり、またそれをやはり大の大人が夢中になって観戦するというのは、ちょっと冷静に考えれば何とも不可解なことだといえなくもない。
やはりジンメルがいうように、人間はほんとうに競い合うことが理屈抜きで好きなのだなと考える以外にないようにも思えてくる。
ゲームをとおしての生の悦び、(竹田青嗣の言葉を借りれば「ゲームのエロス」)は、人間が生きる楽しさを味わえる最大の契機の一つなのだ。
闘争が最も純粋なかたちで追求される(これをジンメルは「純粋な抽象性」と表現する)とき、忘れてはならないことは「統一化を前提とする」ということである。
つまり「闘争の原理」が純粋に実現されるためには「結合の原理」が同時に成り立っていなくてはならない。
ここでいう結合の原理とは「規範と規則」に対する「お互い双方の承認」のことだ。
簡単にいえば、ゲームのルールを互いに認め合うということだ。
感想
ぼくもサッカー観戦は好きですが、「ゲームのエロス」を感じていたのかもしれないと思いました。
下記の本を参考にしました
『ジンメル・つながりの哲学 』
菅野 仁