とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

社会の求めるものと「ほんとうの私」のバランス

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


社会の求めるものと「ほんとうの私」のバランス

 


ジンメルの「相互作用論的社会観」に立てば、「ほんとうの私」というものが、社会的関係とは全く別のどこかに実体的に存在するという考え方は成立しない。

 


とはいえ「ほんとうの私」という感覚自体を丸ごと否定して、「すべては社会的役割上の演技にすぎない」とする考え方も納得のいくものではないことは前に指摘したとおりである。

 


とすれば、「ほんとうの私」とはいったいどのように考えればいいのだろうか?

 


「いま・ここ」の社会的関係において、他者から期待されている役割と自分の了解との間に極端なズレがあったり、「いま・ここ」の役割関係以外の側面を全く考慮されないような関係のなかに置かれたとき、人は、「ここは私の居るべき場所じゃない」という感覚や「ここはほんとうの私を活かす場所じゃない」という意識に陥る危険性があるのでないかと私は考える。 

 


ようするに「ほんとうの私」を100%活かしてくれる場所がどこかに「実体」としてあると考えるのは、社会の原理的考察からして誤っているということだ。

 


しかし、私たちは「ほんとうの私」という感覚を捨てさる必要はない。

 


「いま・ここ」で自分が背負っている役割的側面とそれ以外の「社会外的側面」のバランスがとれ、そのようなあり方に関して他者からの承認が得られる場合、「ほんとうの私」というものに手が届くという可能性が開かれる。

 


つまり、社会的要請と自分の「生」の意識とのズレが最小となるようなそういう社会関係の形成を自分自身が模索するなかで、「ほんとうの私」が活かされる可能性が開かれるのだ、というのが現在のところ私がジンメルとの対話から得た結論である。

 


だからどのような活動をすれば、「ほんとうの私」にたどりつけるかを具体的な内容を指示して語ることはできない。

 


たとえば、ボランティア活動にさえ参加すれば「ほんとうの私」に必ず出会えるとか、きちんとした職業をもてばそうなれるとか、そういういい方はできないのだ。

 


感想

 


本音と建前のバランスよくすることは、処世術として大事なだと思いました。

 


八方美人過ぎても、自分の意見を言い過ぎても上手くいかないことはあると思います。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジンメル・つながりの哲学 』

   菅野 仁

   NHKブックス