こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 「一般性」のコミュニケーション
「一般性」のコミュニケーションは、公的な社会制度を支える重要なコミュニケーション活動である。
すべての人間が平等だと考える民主主義社会では、互いに対等な人間同士が、なにが正しいのかなにが間違っているのかを「対話」するというコミュニケーションが理想的なものとして考えられる。
たとえば、議会や学会における質問と討議(対話)がそうだ。
そこでの「対話」は、参加者の個人的な趣味や相互の力関係に左右されてはならず、誰が議論しても必ず同じ結論に導かれなければならないという意味で、「一般性」がめざされている。
その討論者の一般的な入れ替え可能性が「対話」というコミュニケーションの正統性を形作る。
だからたとえば、質問で相手をいじめることの好きな議員といじめられることに喜びを感じる議員が、そのSM的コミュニケーション自体を議会で楽しんでしまったとしたら、それは議論の正当性を冒瀆することだと参加者たちは感じるだろう。
そのような意味で、公的領域にあっては、人間は「一般性」の形式それ自体を生きなければならない。
刑務所の看守は受刑者に対して「権力」を規則に則って行使するが、それは決して SM的な趣味の
コミュニケーションのためであってはならないし、新聞というメディアを通して事件を読者に伝える新聞記者は、必ず中立的に広く事実を報道すべきであって、読者を嗜虐的に喜ばすために推理小説的に事件を膨らませてはならない。
感想
議会や学会における「対話」は、参加者の個人的な趣味や相互の力関係に左右されてはならず、誰が議論しても必ず同じ結論に導かれなければならないという。
必ずしも同じ結論にならなければならないのだろうかと思いました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ