とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

病気の社会学的定義

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。

 


感想も書きたいと思います。

 


話題  病気の社会学的定義

 


日本でも、最近は健康ブームということで、健康管理に気を遣う人が増えていますが、日本人以上に健康志向なのがアメリカ人です。

 


禁煙はもちろん、ダイエットにジョギング、ヘルシーな日本食と、アメリカのビジネスマン、ビジネスウーマンは、常に自分の健康に気を配っています。

 


この背後には、アメリカ社会特有の価値志向があります。

 


アメリカの社会学者T・パーソンズは、医療社会学の分野でもパイオニア的な役割を果たした人ですが、彼によるとアメリカ社会の主要な価値パターンは「道具的活動主義」であるといいます。

 


この「道具的活動主義」は、宗教的志向と道徳的志向という二つのものに根ざしています。

 


まず宗教的志向からみると、道具的活動主義の基盤は、M・ウェーバー(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文がピューリタニズムの「世俗内禁欲」と名づけたもの、すなわち人間は地上に神の国を築こうとする神の意思の「道具」にすぎない、という考え方にあります。

 


これが「道具的」の意味です。

 


次に道徳的志向からみると、道具的活動主義は個人の自律性と責任を重視するという点で個人主義的な価値志向です。

 


人間を神の道具と考えるならば、これまたピューリタニズムの見方からすると、瞑想や信仰心だけによってではなく、実際の活動や行為によって神の「証し」をたてなければなりません。

 


とりわけ、この世の中で与えられた仕事によって業績を上げる活動をすること―これが「活動主義」です。

 


こうしてピューリタニズムを背景とした道具的活動主義の国アメリカでは、業績をあげるための条件として、健康が重視されるのです。

 


では、パーソンズは、健康と病気をどのように捉えているのでしょうか。

 


彼は、社会的役割との関連から、健康と病気を次のように定義します。

 


健康とは、個人が社会化されるにつれて担う役割と課業を効率的に遂行しうる能力の最適状態として定義されよう。

 


したがって健康は、社会システムへの個人の参与に関連して規定される。…(中略)…次に、病気もまた、一つの社会的に制度化された役割タイプである。

 


病気ということを一般的に特徴づけるならば、正常に期待された課業ないし役割を遂行するための個人の能力が一般的に攪乱された状態だということになろう。

 


すなわち、その社会で一定の社会的役割を遂行できなくなっている状態、とりわけ近代の産業社会にあっては、生産労働に従事するうえで何らかの障害をもっている状態、これが社会学的にみた「病気」です。

 


風邪や花粉症のために頭がボーッとすれば、仕事に差し支える。

 


だから、風邪も花粉症も、「病気」として近代医学の治療対象となるのです。

 


そこで、パーソンズは、病気を犯罪や非行と同じ「社会的逸脱」の一類型と考え、逸脱行動の類型化を行います。その際、二つの軸を交差させて四つの逸脱行動の類型を考えます。

 


一つの軸は、状況に志向するのか、規範に志向するのかの軸です。もう一つの軸は、全体としての個人が問題になるのか、個別的・限定的な役割期待が問題になるのかという軸です。

 


このうち、状況志向的で全体としての個人に攪乱が生じた場合が課業・役割遂行「能力」の問題としての「病気」です。

 


これに対して、規範志向的で全体としての個人に攪乱が生じた場合は価値コミットメントの問題または道徳性の問題としての「罪」や「不道徳性」になります。

 


他方、状況志向的でも個別的期待に攪乱が起きている場合は集合体へのコミットメントの問題である「忠誠の欠除」が生じます。

 


最後に、規範志向的で個別的期待に攪乱が生じている場合は規範へのコミットメントの問題または「合法性」の問題としての「犯罪」や「非合法性」が起こるのです。

 


このように、パーソンズは、病気も逸脱行動の一類型として位置づけることによって、治療を専門家(医師)による社会統制の問題として考察していくことになるのです。

 


感想

 


病気を医学的に捉えるのが一般的ですが、そうではなく、社会学的に捉えるのがおもしろかったです。

 


下記の本を参考にしました

 


『ライフイベントの社会学

   片瀬 一男著

 世界思想社