とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

民主主義はコーヒー・ハウスから始まった

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。

 


感想も書きたいと思います。

 


話題 

 


市民社会とコーヒー・ハウス

 


ロンドンで最初のコーヒー・ハウスが開店したのは1652年のこと。

 


クロムウェルピューリタン革命を成しとげたのが1649年ですから、コーヒー・ハウスは文字通り近代市民社会の成立と軌を一にして誕生したことになります。

 


コーヒー・ハウスは、その意味でも市民社会の申し子といえるでしょう。

 


この最初のコーヒー・ハウスの店主パスカ・ロゼは、コーヒー・ハウスの開店に際して、こんな宣伝文を作りました―「本邦初、公に入れて売られる(publiquely made and sold) パスカ・ロゼのコーヒー・ドリンクの効能」。

 


臼井はこの宣伝文のなかの「公に」という語句に注目します。

 


ここでいう「公」とは政府あるいは王室御用達という意味ではなく、あくまでも市民が誰でも自由に出入りし、コーヒーを飲んで気ままなおしゃべりをすることができる公開の場、という意味です。

 


そして、コーヒー・ハウスでの自由な語らいは、やがて政治などの公共の問題まで話し合われる場となります。

 


こうしたコーヒー・ハウスの討論から、さまざまな近代市民社会の萌芽が生まれます。

 


当時の大英帝国は、世界の海をオランダと競い合った商業資本主義国でした。貿易商人たちは、インドの香料や南アメリカの銀などを求めて遠隔地貿易に乗り出していました。

 


商業活動は、世界各地の商品価格の差異を前提にします。ある商品を安いところで買い、高いところで売る。その差益で商人たちは利ざやを稼いだのでした。

 


経済学者の岩井克人(『ヴェニスの商人資本論ちくま学芸文庫)の表現を借りると、「商業資本主義とは、地域的に離れたふたつの共同体の間の価値体系の差異を媒介して利潤を生み出す方法」です。

 


実際、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』(岩波文庫)では、アントーニオは中国とペルシャから絹、インドとスマトラからコショウ、西インド諸島からは砂糖とタバコとコーヒーをというように遠隔地貿易で利益をあげていたのでした。

 


こうして離れた共同体間の価格の差異を媒介して利益をあげるためには、商人たちは世界各地の商品についての情報をもっていなければなりませ

ん。

 


けれども、その情報を得ようとしても、この当時、商人の要望に応える新聞がありませんでした。

 


最新情報が満載された新聞を作ろう。そのためには、多くの貿易商人が出入りし、情報が集まるコーヒー・ハウスがうってつけだ。

 


こうして、コーヒー・ハウスは貿易情報誌(新聞)の発行所となります。

 


もう一つ、最新情報を得るのに有用なのは手紙です。イギリスでは1678年に国の郵便制度ができますが、配達がいい加減で信頼性に欠けていました。

 


そこで、1680年に、コーヒー・ハウスを拠点に

一ペニー郵便制度という私的な郵便制度が作られました。

 


これは、コーヒー・ハウスに郵便袋が掛けてあり、手紙を出したい人がその袋に入れると、定期的に集められ、配達されるという仕組みでした。

 


外国郵便も同様でした。たとえば、ジャマイカ・コーヒー・ハウスに行くと、その名の通りジャマイカへの出港や荷物のニュースが聞けるとともに、ジャマイカ宛の郵便物を出すこともできました。

 


また、貿易商人たちは、「ヴェニスの商人」のアントーニオも苦しめられた海運につきまとう危険についてコーヒー・ハウスで情報交換をするうちに、災害保険の必要性を検討し、保険会社を設立するに至ります。

 


また、イギリスを発祥の地とする代議員制による議会 (parliament)にしても、その語源は「おしゃべりをする場所」にあるとされます。

 


コーヒーは眠気を醒まし、人を理性的にし、おしゃべりにする液体とされましたから、コーヒー・ハウスで求められたのは、何よりも知的で洗練された会話能力でした。

 


それまで、人が会話する場所として機能してきたのは、舞踏会場や劇場といった上流階級の社交場でした。

 


これに対して、コーヒー・ハウスの特徴は、身分制の枠がとりはらわれていた点にありました。

 


コーヒー・ハウスの出入りにはコーヒー代が必要なだけでしたから、身分の低い人も、上流階級の人士と席をともにし、自由に会話することができました。

 


コーヒー・ハウスの雰囲気を支配したものは、こうして身分の違いを越え、意見を異にする人々の自由な討論を可能にする民主主義の精神でした。

 


そして、コーヒー・ハウスにおける討論は、公的意見つまり世論(public opinion)が形成される場でした。

 


この時期、J・ミルトンやJ・S・ミルら啓蒙主義者によって「思想の自由市場原理」と呼ばれる民

主主義の原理が提唱されていました。

 


それは、多元的社会すなわち価値観の多様性を認める社会においては、自由な討論のみが真理への到達を可能にする、という原理です。

 


つまり、自由主義経済における市場メカニズムと同様、国家権力の介入がなく、言論の自由が保障されるならば、おのずから国民の世論が形成されるというわけです。

 


民主主義といえば、たしかに多数決という決定ルールが採用されます。

 


ですから、多数決が民主主義の本質だと考える人がいるかもしれません。

 


しかし、民主主義には多数決よりもさらに本質的な前提条件が存在します。

 


それがここでいう自由な討論です。

 


というのも、そもそも多数意見が常に真理だからではありません。そうではなくて、討論によって妥当な意見をもつ多数派が生まれるので、その意見に従うことが望ましいからです。

 


したがって、民主主義は自由な討論によって形成された多数派の意見に従って決定を行う政治を意味します。

 


17世紀のコーヒー・ハウスは、このような討論によって世論が形成される場、すなわち近代的な市民的公共性の場であったのです。

 


感想

 


コーヒーハウスが、政治や経済の拠点のような役割を果たしていたことに驚きました。

 


また現代では、そんな重要な話が喫茶店やカフェで行われているとは考え難いので、対称的でおもしろかったです。

 


下記の本を参考にしました

 


『ライフイベントの社会学

   片瀬 一男著

 世界思想社