とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

社会学的「恋愛」とは

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。

 


感想も書きたいと思います。

 


話題 「恋愛」の定義

 


「恋愛」は、社会学においてはしばしば次のよう

に定義されてきました。

 


「自然的・本能的衝動に基礎づけられ」ながらも「常に歴史的・社会的に形成され、社会成員によって分有され伝達され学習されるひとつの生の様式」(井上俊「恋愛結婚の誕生」「死にがいの喪失」筑摩書房)、「他者の存在を「性的」に求める欲求」(山田昌弘「「恋愛社会学」序説」『年報社会学論集』)などなど。

 


こうした定義に対して、草柳千早(「恋愛二元論というトリック」磯部卓三・片桐雅隆編『フィクションとしての社会』世界思想社)は、恋愛の観念が、犯罪や非行などの社会問題と同様、言語によって社会的に構築されるものであるとしたうえで、その恋愛に関する「語り」のなかに、その時代の常識が現れるとしました。

 


たとえば、井上は先の定義に続けて、それ「「異性愛」といいかえてもよい」と「語る」ことで、「同性愛」を「異常」とみる常識を露呈させているし、山田の定義のように、恋愛における「性的欲求」を強調することには、「セックスレス」もしくは「プラトニック・ラブ」にみられる性的関心・欲求の不在を「病理」とみなす常識が潜在している、といいます。

 


今日、恋愛やセクシュアリティは、その多様性に配慮しなければ、語ることはできないのです。

 


草柳自身は、そうした「語り」の一つと断ったうえで、恋愛を「一対の人間を排他的に結合させる制度」と定義します。

 


これは恋愛の社会的機能に着目した定義であるといえるでしょう。

 


さらにまた、そうした「語り」の一つとして、恋愛をその心理機制の点から「二者関係の否定幻想」として定義することも可能でしょう。

 


この定義は、N・ルーマンの『情熱としての愛』(木鐸社)を踏まえたもので、「好きな人と一つになりたいが、それは心理システムが互いを環境とみなすことからみて、幻想にすぎない」という恋愛観に由来します。

 


そして、小谷野敦(『もてない男ちくま新書)も指摘するように、『新明解国語辞典 第4版』(三省堂)の「恋愛」の定義、すなわち「特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態」に近い。

 


小谷野は、日本の恋愛言説が「もてる男女」や「相思相愛」のみを対象とし、とりわけ「もてない男」や「片思い」「苦しい恋」を問題にしないといいます。

 


そして、「男の恋」「色道」「片思い」などをキーワードに、古代から近世・近代文学を解読しようとしています。

 


感想

 


恋愛の幻想観や異常愛の始まりを感じられて、おもしろかったです。

 

 

 

下記の本を参考にしました

 


『ライフイベントの社会学

   片瀬 一男著

 世界思想社