こんにちは。冨樫純です。
「日韓教科書比べ」についてのコラムを紹介します。
教科書はそもそも、その国の意向や思想が反映されると思うので、内容が違って当然だと思いました。
同じ事件であっても、国がちがうと、教科書での記述も異なっている。
豊臣秀吉の朝鮮出兵について、日韓両国の教科書を比べてみよう。
日本の教科書
秀吉は、明への出兵に朝鮮の協力が得られないことを怒り、まず朝鮮の征服を考えて、1592年、全国の大名に出兵を命令しました。
日本軍は、はじめ首都漢城(いまのソウル)や各地の都市を占領しましたが、朝鮮の農民による義勇軍や、李舜臣の水軍の活躍でそれ以上にすすむこ
とができませんでした。
そのため、講和をすすめ、休戦して引きあげま
した。ところが秀吉はその講和の内容に怒って、ふたたび出兵を大名に命じました。しかし日本軍は,明・朝鮮の連合軍に対して苦戦をつづけ、また秀吉も病死したために、全軍は引きあげ、戦いは終わりました。
韓国の教科書
そこで豊臣秀吉は、彼の政権を安定させるために、不平分子の関心を外に向けさせると同時に、みずからの征服欲をも満足させようとして、わが国と明に対する大々的な侵略の準備を始めた。
国民は、身分の貴賤や老若男女を問わず一丸となり、文化的優越感に満ちあふれ、自発的な戦闘意識を持っていた。
このような精神力が国防能力に大きく作用して、日本軍を撃退する力となった。
東アジアの文化的後進国であった日本は、わが国から活字、書籍、陶磁器、絵画などの文化財と人材を略奪していき、日本文化の発展に大きな影響を与えた。
下記の本を参考にしました
『いちばんやさしい憲法入門 』
初宿 正典 他2名
有斐閣アルマ