こんにちは。冨樫純です。
「韓国文化の鍵概念「恨」」についてのコラムを紹介します。
ただただ、悲惨な話に思えますが、文化の背景がある映画だから、ヒットしたのかと思いました。
イム・グォンテク監督による 1993 年の作品で、韓国において当時の観客動員記録を更新したばかりか、数々の国際的な映画賞も受賞した。
1960年代の韓国社会を舞台に、伝統芸能パンソリを生業としながら旅を続ける家族の生き様を描くこの作品は、「恨」をその中心テーマとしている。
「恨」とは仏教やシャーマニズムに影響を受けた韓国固有の感情として知られ、韓国人の文化を理解するうえでの鍵概念の1つといわれている(古田,1995)。
物語は、パンソリの優れた唄い手である父ユボンが、娘(養女)のソンファと息子のドンホに芸を教え込みながら村落から村落へと渡り歩く姿を描くところから始まる。
一家は貧しく、修行は厳しい。
やがてその暮らしに耐えかねたドンホは出奔する。
残されたソンファは父に従って唄の練習を続けるが、父は娘の声がただ美しいだけでパンソリに必要な「恨」の感情を伴っていないことを嘆き、「恨」を植え付けるために、密かにソンファの食事に毒草を混ぜ、やがて彼女は失明してしまう。
父は彼女の光を奪ったのが自分であることを告白
しつつ、「人の恨とは、生きることだ。心に鬱積する感情のしこりだ。生きることは恨を積むことだ。恨を積むことが生きることなのだ」と娘に説く。
ソンファは悲しみに暮れつつも、父に感情をぶつけることなくただ唄い続ける。
物語はその後、時を経てソンファとドンホが再会し、互いに名乗らぬまま、弟の打ち鳴らす太鼓に乗せて姉が唄う場面でクライマックスを迎える。
「恨」は単なる恨みとは違う。
逃れられない運命を憂い、苦しみ、やがて受容し、感情を昇華させていくという複雑なプロセスを内包するこの概念には、韓国の人々が歴史の中で培ってきた「文化」が色濃く反映されてい
る(金,2003)。
下記の本を参考にしました
『社会心理学』
池田 謙一 他2名