とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

自己肯定感と文化

こんにちは。冨樫純です。

 


「自己高揚傾向の文化差」についてのコラムを紹介します。

 


確かに、ぼくも「たとえ自らに自信をもっていてもそれを表に出すのは未熟であり、つねに謙虚な姿勢で自己を省みることが望ましい」という価値観があります。

 


この価値観を覆すのは、なかなか難しいと思いました。

 


欧米の人々を対象とした研究では、自分について実際以上に肯定的・楽観的な見方をする自己高揚(self-enhancement) バイアスが見出される。

 


ポジティブな特性について過度に自分にあてはまると考える(Brown, 1986)、自分が得意な課題の重要性をより高く見積もる(Tesser&Paulhus, 1983)、自分の成功を内的要因に、失敗を外的要因に原因帰属する(Miller & Ross, 1975)等は、いずれも欧米で頻繁に確認される現象である。

 


一方、東アジアの人々を対象とした研究ではこうしたバイアスはみられず、ときとして逆の自己卑下傾向が見出される(Heine et al, 1999)。

 


この文化差の意味を多角的に検討してみよう。

 


第1に、個人が重視する価値や信念の違いの表れとして文化をとらえるなら、東アジアの自己卑下傾向は「謙遜」の文化的価値を反映していると考えられる(Bond et al, 1982)。

 


儒教の影響を根強く残す東アジアの文化では、「たとえ自らに自信をもっていてもそれを表に出すのは未熟であり、つねに謙虚な姿勢で自己を省みることが望ましい」という価値観が根強いために自己高揚的なふるまいはなかなか現れないのかもしれない。

 


第2に、価値や信念のレベルにとどまらず、より無意識的な個人の認知や思考のプロセスにまで文化の影響が及んでいるとすれば、自己高揚は欧米文化に生きる人々だけがもつ心の性質であり、東アジア人にはこれとは異なる心の性質が備わっているという考え方が成り立つ。

 


ハイネらはこの立場から、東アジアの人々は自分の優れた点よりも不足している点に注意を向けやすいという心の性質(自己批判)をもっており、それゆえに自己卑下的なふるまいを示すことが多いと論じている(Heine et al, 1999)。

 


上記の2つはいずれも、価値や信念、もしくは認知や思考プロセスといった個人レベルの概念で文化差のメカニズムを検討している。

 


一方、次の第3・第4の視点は、個人を超えた人間関係や社会システムに焦点をあてるものである。

 


第3に、それぞれの社会において優勢な関係性の違いから心理傾向の文化差を説明する視点に立てば、自己卑下は、自己と他者とが互いの自尊心を守り合う「相互配慮」の関係性に身をおいたときに現れる傾向としてとらえられる(Muramoto, 2003)。

 


この関係性のもとでは、自らは控え目でありつつ、他者から好意的な評価を受けることによって間接的に自己高揚が果たされる。

 


相互配慮は日本社会において優勢な関係性ではあるが(いわゆるセケン)、非常に親密な関係性(ミウチ)や逆に非常に疎遠な関係性(タニン)のもとでは相互配慮が働かないため、日本人であっても自己卑下に代えて自己高揚傾向が現れる場合もあることが報告されている(村本・山口,2003)。

 


第4に、よりマクロな社会システムの違いから心理傾向の文化差を説明する視点に立てば、欧米人が自己高揚的、東アジア人が自己卑下的にふるまうのは、それぞれのふるまいが有利になるような特徴が社会の側に備わっているためだといえる。

 


逆にいえば、自己卑下的にふるまっても有利な

結果を生まない環境のもとでは、自己卑下傾向は消失する。

 


自分のテスト成績が平均以上か以下かを日本人参加者に予測させた実験では、「正確な予測をす

ればボーナスをもらえる」という条件が提示された場合に限って、参加者の自己卑下傾向は消失し、むしろ自己高揚的になったという(鈴木・山岸,2004)。

 


下記の本を参考にしました

 


社会心理学』 

 池田 謙一 他2名

 有斐閣