とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

狂人を社会の一員と捉える

こんにちは。冨樫純です。

 


本を紹介します。

 


①この本を選んだ理由

 


社会学の講義をしている動画にハマっていて、その先生が薦めていたので、読んでみようと思いました。

 


②こんな本です

 


『寝ながら学べる構造主義

   内田 樹著

   文春新書

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構造主義現代思想の代表みたいにいわれるけれど、一体どんな思想なんだろう。

 


そう思って解説書を手にとれば、そこには超難解な言い回しや論理の山。

 


ああ、やっぱり現代思想は難しい……。

 


そんな挫折を味わった方はぜひ本書を。

 


フーコー、バルト、レヴィ=ストロースラカンといった構造主義の主唱者たちは、要するに何が言いたかったのか、「思想の整体師」の異名をもつ著者が、噛んで含めるように説き明かします。

 


「そうか、そうだったのか」の連続となること必定です。

 


③こんな言葉が印象に残りました

 


フーコーは、歴史を「生成の現場」にまで遡行してみることによって、「常識」をいくつも覆してゆきました。

 


フーコーが覆した「常識」のうちでいちばん衝撃的なものは、おそらく精神疾患における「健常/異常」の境界という概念でしょう。

 


フーコーはその最初の学術的主題に「狂気」を選びました。

 


彼が最初にめざしたのは「歴史から排除され、理性から忘れ去られたものを狂気に語る機会を提供すること」でした。

 


『狂気の歴史』において、フーコーは、正気と狂気が「科学的な用語」を用いて厳密に分離可能であるとする考え方は、実は近代になってはじめて採用されたものだ、という驚くべき事実を指摘します。 

 


精神病者の「囲い込み」はヨーロッパでは17〜18世紀に近代的な都市と家族と国家の成立とともに始まりました。

 


それ以前、狂人は地域社会においては共同体の成員として認知されており、固有の社会的役割を担っておりました。

 


というのも、狂人は中世ヨーロッパにおいては悪魔という超自然的な力に「取り憑かれた人」と見なされていたからです。

 


狂人は「罪に堕ちる」ことの具体的な様態であり、共同体内部ではいわば信仰を持つことの重大性の「生きた教訓」としての教化的機能を果たしていたのです。

 


ですから狂人たちが身近にいること、その生身の存在をあからさまにさらしていることは、人間社会にとって自然であり、有意義なこととされていたのです。

 


(本文より引用)

 


④この本が気になった方への2冊はこちら

 


『はじめての構造主義

   橋爪 大三郎著

 講談社現代新書

 


『フランス現代思想史 』

  構造主義からデリダ以後へ

  岡本 裕一朗著

 中公新書

 


感想

 


構造主義を学ぶことができたことはもちろん良かったですけど、それ以上に、内田 樹先生の文章が面白くて、印象に残りました。

 


ファンになりました。

 


興味を持ってくれた方はいるでしょうか?

興味を持った方は、是非読んでみてください。