とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

人を助けるために嘘をつくことは許されるか?

こんにちは。冨樫純です。


ある倫理的課題に対して、哲学者の見解も参考にして、ぼくなりの結論を書きます。


理由も書きたいと思います。


課題


人を助けるために嘘をつくことは許されるか?


結論


カントのいうように因果関係はないかもしれませんが、許されると思います。


やはり、相手の不利益になると考えられるからです。


理由


賛成派(常識的な見方)


キケロ(Marcus Tullius Cicero )前106年ー前43の「義務について」では、「約束した当人や相手の不利益になる場合には、約束は守らなくてもよい」(角南一郎訳、現代思潮社、17頁)という考えが述べられている。


キケロは約束が無条件に守られなければならないという主張は退ける。


①自分の側に極端な不利益が伴う時

②相手の側の不利益になる時

③約束が暴力や詐欺によって結ばれている時

④相手側に不誠実がある時には、約束は守らなくてよい。


嘘をついてよい場合も、これとほぼ同じだと考えてよいだろう。


誰もが認めざるをえない自分の基本的な利益を守るため、たとえば、


①夜、駐車場で骨折した時、人の助けを求めて「火事だ」と嘘をつく

②相手を救うため、たとえば、子どもに「苦く

ない」と嘘をついて薬を飲ませる

③相手が誠実でない時、たとえば無礼な訪問者に対して居留守を使う


反対派


大哲学者のカント(Immanuel Kant 一七ニ四I一八〇四)が「人の命を救うために嘘をつく」のは、正しくないと主張する。


「人間愛からなら嘘をついてもよいという誤った権利について」(1797年)で、「われわれの友人を人殺しが追いかけてきて、友人が家のなかに逃げ込まなかったかとわれわれに尋ねた場合、この人殺しに嘘をつくことは罪であろう」と言うのだ。


因果関係についてカントは「いない」と嘘をつけば友人が助かり、「いる」と真実を告げれば友人が殺されるという関係は成り立たないと主張する。


「いない」と嘘をついても、犯人と友人が出会い頭にぶつかって友人が殺されてしまうかもしれない。


「いる」と真実を告げても、その人はまんまと抜け出して不在かもしれない。


だから嘘をつけば友人が助かり、真実を語れば殺されるという因果関係はない。


「私が真実を語る→友人が殺される」という出来事があったとしても、このことは「私が友人を殺す」と同じ意味にはならない。


私の真実を語るという行為と友人の殺されるという結果との関係は偶然的である。


だから友人の側に私に嘘を言うべきだと主張する権利は発生しない。


下記の本を参考にしました。


『現代倫理学入門 』

   加藤 尚武著

   講談社学術文庫