こんにちは。冨樫純です。
「共通善」についてのコラムを紹介します。
日本の政治はこのような「共通善」を目指しているように見えますが、どこらしら偏ったところもあり、マスコミや野党の批判の的になっていると感じます。
アリストテレス、キケロ、そしてトマス·アクィナスから現代アメリカのサンデルらコミュニタリアンと呼ばれる理論家に至るまで、西洋政治思想史において繰り返し取り上げられてきた概念の一つに共通善がある。
この言葉は文字通り、政治的共同体の構成員に共有された善のことであり、特定の個人や集団にとっての善とは区別される。
政治的共同体の存在意義はまさに共通善の実現にあると考えられてきた。
これに対して、共通善などというものは存在せず、政治の目的は一人一人の個人にとっての善の実現と、その調整に尽きるという自由主義的な考え方も存在する。
また、共通善といっても、はたしてそれは共同体の構成員にとっての善を集積したものなのか、さらに、ある共同体にとっての共通善は、他の共同体や人類全体の共通善と衝突することがありうるかなどをめぐって、多様な理解がありうる。
下記の本を参考にしました
『西洋政治思想史』
宇野 重規著
有斐閣アルマ