とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

結婚と離婚と社会学

こんにちは。冨樫純です。


「結婚と離婚」についてのコラムを紹介します。


結婚や離婚にも様々な見方や考え方があることを学びました。


「結婚」や「離婚」も時代や社会の違いを反映して、その制度や内実にいくつかの枝分かれがある。


おもなポイントを確認してみよう。


まず、結婚の分類として、配偶者の人数による区分がある。


相互にとって配偶者が1人であるという一夫一婦婚は「単婚」と呼ばれ、どちらかが複数である一夫多婦婚、多夫一婦婚などは「複婚」と呼ばれる。


論理的には多夫多婦婚がありうるわけだが、歴史資料的には存在が確認されていない。


現代社会において、離婚の一般化がみられるのだが、そうするとその時点ごとには一夫一婦婚なのに、一生を通じてみると複数の人と配偶関係をもつ人がいることになる。


これは単婚、複婚のどちらに位置づけるべきな

のかという問題が発生することになり、単婚の相手が時間のなかで変化するということで、「系列単婚」 という概念化がなされている。


その配偶者はどの範囲の人から選ばれるのであろうか。


そこには、「外婚制」、 「内婚制」の双方が働くといわれる。


外婚制とは自分が所属する集団内での結婚を禁止または忌避する制度であり、その範囲の外の人との婚姻がすすめられることである。


普遍的には家族内での結婚や姦通を禁止する「インセストタブー」があるし、中国や韓国において

は父系の同姓不婚の考え方の存在が指摘される。


他方、内婚制とはその集団内での結婚を要請する制度であり、一般的に同じ人種、宗教、階層内での婚姻が結ばれる傾向がある。


協定結婚(見合い結婚)から自由結婚(恋愛結婚)へという近代社会の大きな流れは、配偶者選択の幅を拡大したという側面もあるが、一方で、出会わない人とは結婚に至るはずもなく、自らの行動範囲・交友範囲のなかに選択が限定されるともいえるのである。


離婚についても、それを許容するかどうかの考え方をめぐって、「結婚非解消主義」と「結婚解消主義」の分かれがある。


前者はおもに宗教的な発想から、神が合わせた夫婦関係は生涯解消できないと考え、後者は婚姻は人為的なものだから解消も可能であると考える。


後者も2つに分かれる。1つは、婚姻解消に値する事態に対して夫婦どちらかに責任がある場合やむなしとするものであり、「有責主義」 と呼ばれる。


もちろん、離婚したいために配偶者の一方がそのような事態を意識的に引き起こす場合もありえ、有責主義では離婚は、その事態に責任のないほうからしか申し立てられないという「クリーンハンドの原則」が採用されることが多い。


有責主義に対し、婚姻継続という事象が実態的に崩壊しているという点にのみ焦点をあて、離婚を許容する考え方を「破綻主義」という。


他方で、そのような結婚制度がもたらすさまざまな不利益や拘束を遠ざけたいという考えから、婚姻届を出さずに法律上は同棲にとどまる 「事実婚」 という形式を選ぶ人たちも登場してきている。


また、婚姻が男性と女性というセクシュアルな関係に限られるものではないとして、男性同士や女性同士の同性カップルが認められるべきだという主張がなされたりもする。


下記の本を参考にしました


社会学

   新版 (New Liberal Arts Selection)

  長谷川 公一 他2名

  有斐閣