こんにちは。冨樫純です。
「合理化過程の頂点としてのマクドナルド化」についてのコラムを紹介します。
アメリカ人はだいたい野心家だというイメージがありますしたが、そうではない兄弟が、あのマクドナルドを創業したことに驚きました。
マクドナルド帝国の創始者レイクロックはつねに、マクドナルドの合理的原理を発展させた功労者と目されている。
しかしながら、マクドナルドの基本的戦略は、マックとディックの2人のマクドナルド兄弟によって創られたものだ。
マクドナルド兄弟社は最初のレストランを1937年にカリフォルニア州パサディナで開店した。
彼らは迅速、ボリューム、低価格をレストランの基本姿勢とした。
彼らは、混雑をさけるために客にかなり限定したメニューを出した。
個人的なサービスや伝統的な料理法にかわって、マクドナルド兄弟社は調理と食べ物のサービスに作業ライン方式をもちいた。
兄弟は、熟練した料理人に代えて、業務用のキ
ッチンにはじめて足を踏み入れたような者でも、食べ物の準備を手っ取り早く習得できるように単純な反復作業に分解できる種類にメニューを制限した。
兄弟社は「焼く人」「混ぜる人」 「揚げる人」「仕上げる人 (バーガーに 「特別のもの」をのせて包む人)」といった分化された従業員を使う方法を開発した。
彼らは従業員がしなければならないことや言うべきことまで指示する規定をつくった。
このようなやり方で、マクドナルド兄弟は合理化された「ファストフード工場」の発展の先頭に立ったのだ。
1954年にレイクロックがはじめてマクドナルドを訪れたとき、基本メニュー、ノウハウ、そしてこんにちのマクドナルド社を有名にしたテクニックのいくつかはすでにマクドナルド兄弟によって創りだされていた。
1954年にはすでにマクドナルド兄弟社は地方では、一大センセーションを巻き起こしており、マクドナルド兄弟はその方法で継続することに満足していた。
彼らはかなりうまくやっていたし、フランチャイズ化にむけて試験的な一歩を踏みだしていたが、大きな野心はほとんとど抱いていなかった。
クロックは、ありあまる野心で、彼らのフランチャイズの代理店となり、フランチャイズのマクドナルド帝国を建設しつづけ、それによってマクドナルド化を促進した。
最初、レイクロックは、マクドナルド兄弟のパートナーとして働いていたが、1961年にはマクドナルド兄弟社を270万ドルで買い取り、その後、自分の思い通りに事業を運営していった。
ここでも、レイクロックは、新しいことを少しも発明していない。
基本的に彼はマクドナルド兄弟社の特製品と技術を受け継ぎ、そしてそれを(食品サービスなどの)
他のフランチャイズや官僚制や科学的管理法や作業ラインの原理と結びっけたのだった。
マクドナルドとマクドナルド化とは、これら20 世紀を通して生起してきた一連の合理化過程の頂点を代表している。
下記の本を参考にしました
『社会学』
新版 (New Liberal Arts Selection)
長谷川 公一 他2名