こんにちは。冨樫純です。
「アーレントの権力論」についてのコラムを紹介します。
彼女が何故このように考えたのか疑問に思いました。
通常、権力といったとき私たちは何かしらの強制力、場合によっては暴力によって相手にいうことを聞かすような力を念頭に置いている。
だが、権力を強制、暴力の一種として理解する見方を真っ向から批判する権力観を、20世紀のユニークな政治思想家、アーレントは提起している(アーレント 2000)。
アーレントによれば、権力はむしろ支配や暴力と区別される。 通常、強制や暴力は、何かの目的を達成するために、アクターによって行使される。
対して、権力は「集団に属するものであり、集団が集団として維持される限りにおいて存在しつづける」 (アーレント 2000: 133) ものであり、 加えて、目的達成の手段ではなく、 むしろ、人々が他の目的を達成すべく行為するための基礎として存在する。
権力が発揮された具体例として彼女が挙げるのは、アメリカ独立革命におけるアメリカ合衆国憲法の制定と建国である。
合衆国の歴史において、宗主国イギリスからの独立 (1783年)は、憲法創設 (1787年) に先駆けて達成されており、その意味で建国は何かの目的の達成のための手段ではない。
同様に、合衆国の憲法制定は、暴力を用いて行われたものでも、 各州に強制されたものでもない。
むしろ、その中で人々が暮らし、 さまざまな目的に向けて活動可能な政治体を構成することが、この権力の意味であった。
およそアーレントは、このように説明している (アレント 1995:3-4)。
権力を暴力とも強制とも切り離してしまうアーレントの議論は、あまりに突飛で、いわゆる権力論とはかけ離れたものに見えるかもしれない。
だが重要なのは、アーレントの独創的な権力観もまた、政治の本質をめぐる考察に根ざしているということである。
政治学では、政治を暴力の行使と結び付けて語ることが一般的である。 政治を、「暴力の正当な独占」を行う国家の活動と定義したマックスヴェーパーの見方などはその代表例である。
対して、アーレントにとって、政治とは、複数の人間が共存するための活動であり、その主な手段は言論や行為である。
下記の本を参考にしました
『ここから始める政治理論 』
田村 哲樹 他2名
有斐閣ストゥディア