とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

権力とは

こんにちは。冨樫純です。


「権力」についてのコラムを紹介します。


「権力」と聞くと、政治的イメージが強いです。


このコラムを読んで、日常的に権力的なことは存在していることに気づかされました。


権力は、政治にとって中心的な概念であり続けてきた。


集合的な決定を伴う政治には、権力の行使がつきものである。

 

たとえ私の意に沿わないものでも、集合的な決定に従わない場合、従うよう強制されたり、何らかの制裁が加えられたりするのが通常である。


では、権力とはそもそも何だろうか。


意に沿わないことを私に強制する点に権力が発揮されると述べた。だが、意に沿わないことといっても、直接の命令のようにわかりやすいものだけではない。


どのようなものが権力の行使だといえるだろうか。


この問いは、単に権力のみにかかわる問題ではない。 権力の存在が政治にとって重要な要件であるとすれば、権力をどこに見出すか という問題は、どこに政治を見出すかという問いと直接つながってくる (もっとも、 権力が政治の存在の唯一の要件かといえば、そうとは言い切れない。 親が子どもに振るう権力は政治だともいえるが、そうでないと考えることもできるだろう)。


実際、多くの人は 「権力」 を、自分から縁遠い存在だと感じているかもしれない。


「権力」といって、 どのようなものが思い浮かぶだろうか。「権力の亡者」 といった表現や、庶民の日常生活からはるかに離れたところにいる政治家たちだろうか。


だが、 権力は意外に身近なものである。たとえば、あなたが学校に遅刻しそうなとき、どれほど急いでいても、赤信号では停止するであろう。


いや、そういうときには信号無視も止むをえない、という人もいるかもしれない(むろん、良くないことである)。


そういう人でも赤信号無視を警察官に指摘されれば、 おとなしく交通違反を認める人がほとんどであろう。 ここで、赤信号であなたを停止させたり、あるいは、警察官に従わせたりしているものが、権力の典型的な表れである。


さらにいえば、学校に遅刻してはいけないと急かしているものも、権力であるといえるかもしれない(これが権力に当たるかは, あとで論じよう)。


政治理論では、権力を他から独立して存在する制度や実体として扱う代わりに、権力が人々に対して、あるいは人々によって行使されるあり方に注目する。


すなわち、権力を人々の関係の中に存在するものとして扱うのである。


そのため権力は、人間関係にとって身近でありふれたものとして表れるのである。


下記の本を参考にしました


『ここから始める政治理論 』

   田村 哲樹 他2名

   有斐閣ストゥディア