とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

「分人」という考え方

こんにちは。冨樫純です。


「分人」についてのコラムを紹介します。

 

おもしろい考え方だと思いました。

 

特に、選挙の時役立ちそうです。


選挙において、一人一票と決めるのではなく、この政策についてはAさんに 0.2票. この課題についてはBさんに 0.4票と自由に投票するという発想はおもしろいと思いました。


1人の候補者のこの政策は賛成だけど、こっちの政策は反対ということもあるので。


個人観は多様だが、これらは皆、個人を分割不可能な単位とみなす点では共通している。


個人が単一だという想定に挑戦する 「分人

(dividual)」と呼ばれる考え方もある。


普通、私たちは自分たちについて、単ー、不変の人格を備えていると考えがちだが、実際には多くの人格を使い分けているのではないかと、分人上概念を支持する論者は説く(平野 2012)。


時間の経過とともに人格が変化していくのは、「個性としての個人」観の持ち主も認めるところである(もっとも、彼らはその変化をあくまで「ほんもの」の自己に近づく発展としてとらえるのだが)。


また、家族、学校、バイト先などで、 場所に応じて「キャラ」 が異なる、あるいは、積極的に使い分けている、という人も多いだろう。


典型的なのはインターネットであり、ソーシャル·ネットワーキング· サービス (SNS)や掲示板、あるいはウェブ上のサービスでは、本名の代わりにそれぞれアカウントを使い分けることが通常となっている。


ここで、個々のアカウントや、「キャラ」 に相当するのが分人であり、個人は多数かつ分解可能、流動的な分人の集合として定義し直されることになる。


「分人」という考え方は、 政治にどのような影響をもたらすだろうか。


たとえば鈴木健は、ネット上の電子投票を念頭に 「分人民主主義」 という考え方を提起している(鈴木2013)。


選挙において、一人一票と決めて、あらかじめ候補者に投票するのではなく、この政策についてはAさんに 0.2票. この課題についてはBさんに 0.4票と自由に投票することで、 従来の代表制下の党派対立や、有権者の意志が反映されにくい、といった周題を解決しようという構想である。


こうして見ると、「分人」 は、従来の単一的な個人観の息苦しさを解放し、政治を大胆に変革する、いいことづくめの考えに聞こえる。


だが、 否定的な側面も考えられる。 第1 に、「分人」 概念が、どこまで妥当かという問題がある。


分人論は情報ネットワークに範例を見出すことが多いが、インターネット上でしばしば「炎上」 や「プライバシーの侵害」 が問題になるようにむしろ、インターネットを用いたデータの集積は、単一の個人の脆弱性をより高めているのでないか、という疑問も成り立つ。

 

また、 規律化や個人化を逃れたとしても、分人には分人に対応した権力のあり方が存在すると考えるほうが妥当だろう。


実際、「分人」 概念を初めて提唱した哲学者のドゥルーズは、個人を対象とした規律化の時代に変わり、分人を対象とする管理社会の時代が到来しているとしていた(ドゥルーズ 2007 :361)。


いずれにせよ「分人」 という発想は、政治が必ずしも個人という単位を前提として存在するわけでないことを教えてくれる。

 

下記の本を参考にしました


『ここから始める政治理論 』

   田村 哲樹 他2名

   有斐閣ストゥディア