とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

代表制とは

こんにちは。冨樫純です。


「代表制論的転回」についてのコラムを紹介します。


代表制論的転回とは、代表制の意義を積極的に見出す議論です。


ぼくは、選挙の際、候補者の諸問題に対する意見を読んだり、聞いたりし、ぼくの意見と近い人に投票します。


代弁者として政治家を選んでいます。


代表制論的転回を成す現在の議論は、選挙で選ばれた政治家だけでなく、非政府組織 (NGO)や活動家にも代表者としての機能を見出している。


ロックバンドU2 のメンバーで、社会活動に熱心なことで知られるポノは、アフリカの貧困問題を訴える際、彼が「アフリカの東まれない人々を代表している」と述べたことがあるが、これは無論、彼がアフリカの人々から選挙で選ばれたというわけではなく、なかなか聞き届けられない人々の声を代弁しているということである。


代表制論的転回の論者たちは、プローバル化、複雑化した現代においては、 従来の政治制度を超えたこうした代表活動が重要になる説く。


代表制論的転回の論者の中にはさらに一歩進んで、そもそも代表者が既存の人々を代表しているわけではないと主張する者もいる。


この主張「構築論的転回(constructivist turn)」 とも呼ばれる)によれば、代表者が実際に行っているのは、政治的主張などのパフォーマンスを通じて、代表されるべき人々を事後的に構築しているのである。


構築といっても、代表者がどのような人々でも自由に生み出せるという意味ではない。


政治的主張のパフォーマンスは成功することもあれば失敗することもあるため、常に代表者の狙い通りの人々が創出されるとは限らないのである(Disch 2015)。


さらにいえば、代表者自身もまたパフォーマンスを通じてつくりあげられるといえる。


たとえば、ボノが「アフリカの恵まれない人々」を代表できたのは、アフリカをめぐる過去の歴史、これまで人々に共有されてきたアフリカや貧困問題のイメージ、そして社会活動へのポノの過去の取り組みがあってのことである。


ただ、これら代表制論的転回の主張に対しては、民主主義を危うくするという疑問や批判も投げかけられている。


たとえば、選挙のような制度的担保なしに、代表者が選ばれてしまってよいのだろうか。


さらに、既存の代表者や代表される人々を前提としない構築主義的転回は、政治とは主権者たる「本人」と、本人の意志を付託された「代理人」(代表者や政府)の関係からなるという政治学の一般的な理解(久米ほか 2011:2-9) を超えていくことになる。


下記の本を参考にしました


『ここから始める政治理論 』

   田村 哲樹 他2名

   有斐閣ストゥディア