こんにちは。冨樫純です。
本を紹介します。
①この本を選んだ理由
哲学を勉強中で、宗教もおもしろいと思い、入門書を読んでみようと思いました。
②こんな本です
『信じない人のための〈宗教〉講義』
中村 圭志著
「宗教」――身近に語られながら、実態の掴みにくい言葉である。
とくに、自分は特定の宗教には属していないと信じている人(つまり多くの日本人)には、怪しい、近寄りがたいイメージがあるだろう。
さらに、いまも世界の各地で「宗教」の名のもとに対立や紛争が激化している状況を聞き及ぶにつけ、怪しいイメージはさらに膨らむのではないだろうか。
そんな読者が「宗教」にたいして「距離を保ちつつ共感・共鳴して」いけるように、宗教とは歴史や共同体や社会と個人のはざまで生きている私たちが、ごく日常的に営んでいるさまざまな行ないの一つにほかならないことを、わかりやすく説得的に語る快著である。
③こんな言葉が印象に残りました
私たちの知る日常世界は、いっさいが効用の観点から組織化されており、働きのある奴は儲け、働
きのない奴は隅に引っ込んでいるのが当たり前であり、働きのない者にしても、将来花を咲かせるために営為努力しておりますとか何とか、前向きのベクトルを示していなければなりまん。
病人に対して「頑張って養生して、すぐに現場に復帰してくれたまえ」というのでは、一部の人の
救いにしかなりません。
病状はさまざまです。そんなに簡単に社会復帰できるとはかぎりません。
しかもどんな病気になるかは、それこそカミサマの決めることであって、当人の責任ではない。
不養生が病気を招くこともあるかもしれないし、 だんから検診を受けていればよかったということもあるでしょうが、それがすべてではない。
誰がいつ何時、どんな目に合うかなんて全然予想がつかない。
ビジネスの論理では「リスク」をも「想定内」に納めることが「自己責任」とされていますが、「自己責任」を超えた「想定外」の「リスク」が突如現れるのが自然の摂理です。
人間は肉体ある存在であり、肉体はかならずや故障し、衰え、朽ち果てますから、病者や老人ならずとも、本質的に人間は後ろ向きのべクトルをかかえているとも言えます。
死がもし最終ゴールであるのなら、人生のどこかの段階で人はもはや「成功」に向けてポジティヴに生きることができなくなります。
(空間的に言えば)日常世界の内部ではもはや効率計算ができない地点というものがある。
それゆえ、非日常世界の論理回路がなければ、病者や老人や決定的弱者を究極的に救ってあげることができない。(本文より引用)
④この本が気になった方への3冊はこちら
『図解 世界5大宗教全史』
中村 圭志著
『宗教学入門 』
脇本 平也著
『教養としての宗教入門 』
基礎から学べる信仰と文化
中村 圭志著
興味を持ってくれた方はいるでしょうか?
興味を持った方は、是非読んでみてください。